【女子バレー】クインシーズ刈谷の北川美桜を育てた、周囲の人間とのやりとり 先に日本代表入りした秋本美空からは「待ってる」 (2ページ目)
【高校時代はライバルと共に成長】
最初はバレー熱が上がらず、週1回の練習も気が乗らなかった。しかし4年生になる時、突然やる気が出た。母親が練習の迎えに来た帰りの車内で、「週4回のコースにいく」と志願したのだ。ただ、やはり試合に出られないことで小学校のクラブチームに移籍。それが分岐点になった。
「それまで壁パスくらいしかしていなかったのが、4年生からは本気でやりました。週6で夜9時くらいまで練習して、土日も遠征。そのクラブチームで試合に出て、負ける悔しさを知り、練習のきつさも学び、バレーが楽しくなりました。そのチームに入っていなかったら、今はなかったでしょうね」
中学は越境で愛媛県松山市にある中学に入学。祖父母の家に引っ越し、バレーに青春をかけた。中学で風土がまったく違う場所で新生活を送るのは、大いなる挑戦だ。
「地元の人と会話して最初に思ったのは、『松山弁は、(語尾に)めっちゃ"けん"ってつけるんだな』ってことでした(笑)。それが気になって話が入ってこなくて。でも、馴染むために使い始めると、2年くらいで自然に身についていました」
コミュニケーション力の高さは、プレーにも結びついた。そして松山東雲高校時代には、県内のライバル校・今治精華高校にいた矢田和香(ヴィクトリーナ姫路)との切磋琢磨があった。
「高校では、ミドルでしたがオープンで打ってました。レフト、ライト、真ん中も全部打っていて。エースの自分に対して、いつも和香がブロックにつきました。あの和香の高いブロック(現在の身長は186cm)があったから、ブロックアウトを練習したり、助走もフェイントをかけるようにしたりするうちに、うまくなれました。
それがなかったら、普通に上から打っていたはず。和香がいたから身につけられた技が多くて、全国でも通用しました。和香とは国体も一緒だったし、面白いので大好きです」
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