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【女子バレー】三留汐利の原動力は「母です」 クインシーズ刈谷を選んだ理由は地元愛

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(7)

クインシーズ刈谷 三留汐利 前編

(連載6:甲斐孝太郎が辿り着いたリリーフサーバーの境地「流れを持ってくるのが面白い」>>)

【母に「恩返しをしたい」】

「自分の原動力は母です。ひとり親で、母が環境を整えてくれたから、ここまでやってこられました。感謝の気持ちが大きく、『恩返しをしたい』とずっと思っています」

 クインシーズ刈谷1年目の三留汐利(22歳)はまっすぐな目で言う。彼女を突き動かしてきたのは母への想いで、それは郷土・愛知県への愛情にも変換された――。それがアウトサイドヒッターとして、"無印"の選手からトップリーグのプレーヤーになれた理由だ。

クインシーズ刈谷に入団した三留汐利(写真/SVリーグ)クインシーズ刈谷に入団した三留汐利(写真/SVリーグ)この記事に関連する写真を見る

 三留は小学校1年生でバレーを始めた。母がママさんバレーをやっていて、姉もやっていたからだ。成り行きだったが、最初は消極的だったという。

「来年にはやめる」

 母にもそう伝えていた。しかし姉がバレーを続け、土日は母が仕事。家でひとりにはできない事情で続けることになった。

 転機は小学校5年生。中学のクラブチームに通うようになり、年上の人たちに混じって練習した時だ。

「肩が強いし、ミートがいいね」

 先輩にそう言われると、誇らしい気持ちになった。そこから「楽しい→うまくなりたい」というサイクルができた。もともと、走ったりボールを使ったりすることが得意で、やっているうちに「負けたくない」という気持ちも湧いてきた。みんながライバルだった。

「『絶対にバレーをやりたい』と思ったのは、高校生からですね。誠信高校のバレー部は同級生が13人で、7人が愛知や三重の選抜。残りの6人が選抜なしで、私もそのひとりでした。

 そんななかで、レフトは2、3人いたのですが、コーチが『(三留を)使ってみてください』と監督に伝えてくれたらしくて。それで試合に出られるようになって、1年生からレギュラーになれました」

 三留は、劣勢からのスタートで見事に勝ち抜いた。反骨精神だった。そこに「母のために」という思いも重なった。

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著者プロフィール

  • 小宮良之

    小宮良之 (こみやよしゆき)

    スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

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