「私、まだ、23歳じゃん」元競泳日本代表・今井月が2度目のオリンピックに届かず競技人生に区切りをつけた理由
今井月さんは現役生活に区切りをつける同時に就活を始めたと言う photo by Tsutomu Kishimoto
連載:NEXT STAGE~トップアスリートのセカンドキャリア
中編:競泳・今井月インタビュー(全3回)
パリ五輪代表選考会を区切りに引退し、就職活動を経てTBSテレビに入社した今井月(いまい・るな)さんは中学1年で日本選手権の200m平泳ぎで3位になって以降、取材される側であり続けた。当初は注目される喜びもあったが、とはいえ当時まだ10代前半。多くのカメラが日常生活に突然入ってきたことに戸惑いもあった。加えて「本当にこれから競技者として順調に伸びるかもわからないのにこれだけ注目されてしまって、自分はどうなってしまうのか」という思いも抱えていた。
だが、取材をするメディアの人たちは、自分の調子が良い時も悪い時も、家族のように接してくれた。そうした原体験が現在の仕事に就くうえで大きな影響を与えた理由のひとつになったという。
◆前編>>切り拓いた新たな人生 プールからTBS報道局への挑戦
【注目を浴びた少女期からスランプへ】
――今までは取材を受ける側の人間でしたが、取材する側のテレビ局への入社を目指すうえで、何かきっかけとなった経験はありましたか。
今井 最初のうちは、自分に向けられるカメラそのものはすごく嫌でしたが、一方でメディアの方々は大好きでした。それこそ地元のテレビ局でずっと取材していただいた方々は、本当に家族のように温かく見守ってくれたんです。それに、水泳をやめたあとも、指導者のような直接的な方法ではなく、取材者のような間接的な方法で水泳に関われるといいな、という漠然とした願望もあったので、選手時代のそうした思いがテレビ局を目指す理由になったと思います。
──高校1年時の2016年にリオデジャネイロ五輪、2017年に世界水泳に出場しましたが、それ以降、国際大会から遠ざかる苦しい時期が続きます。特に大学時代のスランプ期間はどのような心境でしたか。
今井 スランプに陥ったからこそ、水泳だけじゃダメだなって感じる部分もありました。大学1〜3年の時は、どうもがいても全然速く泳げないという時期が続いていたので、速く泳ぐことだけを求めて生きていってはダメだなと。自分から水泳を取った時に、何か残る人間でいたいというのは、その頃から強く思い始めました。
もう復活できないかもしれないというところまでいっていたので、だったら水泳以外にも魅力的な人間になるべきだなと思いました。たとえば、人に対して常に笑顔で接するとか、元気がない人の気持ちを理解するみたいなことも含めて、ただ泳ぐことが速いだけの人間で終わらないよう、過ごしてきました。
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著者プロフィール
牧野 豊 (まきの・ゆたか)
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。


