第一印象は「うわっ、細いな」 花巻東の1年生4番・大谷翔平と対戦した147キロ右腕が明かす怪物の片鱗
風張蓮インタビュー(前編)
「僕は彼の人生にとって0.000001%くらいしか絡んでないわけですし、そもそも覚えていないと思うんで」
謙遜というより恐縮するように、風張蓮は、ハハハッと笑っていた。
伊保内高校時代に花巻東の1年生4番・大谷翔平と対戦したことのある風張蓮氏 photo by Genki Taguchi この記事に関連する写真を見る
【強豪校の誘いを断り地元の公立校へ】
回想に登場する彼──大谷翔平とは、高校時代に一度だけ対戦したことがあった。
大谷が花巻東に入学した2010年。風張は3年生だった。当時はそれほどふたりの交錯は注目されていなかっただけに、「今になってそこまで掘り返されるようなほどのことでもないのかなっていう感じですかね」と、風張のリアクションは控え目である。
大谷と試合をしたことがある。
そんな自慢話を持つ野球経験者は一定数いるだろう。そのなかにおいて風張の、本来は「掘り返されるようなものではない話」が蘇るのは、高校時代の彼が「プロ注目」のピッチャーであり、実際にプロ野球選手となったからでもある。
岩手県北部に位置する、人口1万人に満たない九戸(くのへ)村で生まれ育った風張は、小学生からスピードボールが売りのピッチャーだった。九戸中へ進むと、そのボールは軟式ながら130キロ台後半を計測。中体連の県大会で上位進出の立役者になるほどだった。
県内の強豪校から誘いの声が耳に入る。風張が「上を目指したい」といった野心が芽生えるようになったのは、中学野球を引退後にKボールの選抜チームの一員として全国大会に出たからである。Kボールとは軟式のようなゴム製の形状ながら、重さや大きさが硬式と同じボールのこと。その全国の舞台に立ったことで向上心が芽生えたが、風張が最終的に選んだのは、地元の公立校、伊保内(いぼない)だった。
「高いレベルの野球にすごく興味を持ったんですけど、強豪校って『厳しい』ってイメージが強くて。そこで内心、少し怖くなったこともあったんです。中学では地元の仲間たちとのびのびやれて、そこそこ結果も出せていたし『だったら、私立をぶっ倒して甲子園に行きたいな』って思うようになりました」
結果的にこの決断は正しかった。小学時代から速いボールを投げられ、中学までのびのび腕を振れていた天然素材は、高校で論理的に成長を果たすのである。
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著者プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。


























