大谷翔平と高校時代にたった一度の対戦 元ヤクルト右腕・風張蓮が振り返る4打席 「自分とは別世界の選手だった」
風張蓮インタビュー(後編)
岩手県人として誇らしい。
それは、風張蓮が大谷翔平の実力を肌で感じており、なおかつトップレベルの野球を知っているからこそ、素直にそう思える。
2014年に東京農業大学北海道オホーツクからドラフト2位でヤクルトに入団した風張蓮氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【大学進学という決断】
自分と同じ岩手で育った大谷は、今や「世界ナンバーワン」と喝采を浴びるほどのスーパースターである。
2018年に日本から海を渡った俊秀は、世界中に驚愕と嘆息をもたらす。エンゼルスで「和製ベーブ・ルース」として、マウンドと打席で相手に脅威を与えた。23年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では二刀流として日本代表を牽引し、優勝の瞬間にマウンドの中心で雄叫びを上げた歓喜は、今も強烈な色彩を放つ。そしてこの年のオフには、当時のメジャーリーグ最高額となる7億ドルでドジャースと契約を結んだ。
すでに漫画ですら描けないほどの世界観──多くの野球ファンと同じように、目を丸くするだけのリアクションしか取れない。ただ、大谷が異次元のパフォーマンスを見せるほど、風張のあの記憶も踊りだす。
「今はもう一ファンですよね。岩手で生まれ育ったくらいとか、関係性っていうのはほぼないんですけど、こっちが勝手につながりを意識しているというか。うれしいですよ、やっぱり」
岩手県出身のふたりの接点。それは、高校時代に白球を交えたことだ。自分より2学年下とはいえ、大谷は当時からすごかった。
2010年の春。伊保内のエースで「最速147キロ右腕」と騒がれつつあった風張は、花巻東の1年生4番バッターの大谷と4打席対戦して2安打を許し、試合にも敗れた。
「プロ注目」と謳われていたとはいえ、花巻東を抑えられなかったことは、風張のなかで少なからず未熟さを痛感させられる出来事のひとつとなっていた。さらには、プロ野球各球団のスカウトと直接、会話ができる監督の屋形場哲也からこのような現実を伝えられたことも、風張を冷静にさせていく。
「高校からプロには行けるだろうけど、ドラフトは下位指名か育成枠になると思う」
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著者プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。









































