大谷翔平と高校時代にたった一度の対戦 元ヤクルト右腕・風張蓮が振り返る4打席 「自分とは別世界の選手だった」 (2ページ目)
そんな折、風張に熱視線を送り続けてくれていたのが、東農大生産学部(現・東農大北海道オホーツク)の樋越勉監督だった。交通の便に優れているとは言えない九戸(くのへ)村まで何度も足を運び、自分を見てくれていた。その樋越から「絶対に上位でプロに送り出す」と口説かれ、風張は大学進学を決意する。
「高校からだと『下位指名だ』っていうのも、なんか嫌だなって思ったんですね。そこで、樋越監督から言葉をかけていただいて、意気に感じたところもあって。高校では全国大会に行けませんでしたし、高いレベルの野球を知らなかったので、『大学に行ってプロになれないようなら、自分の実力はその程度なんだ』と、覚悟を決めました」
【ドラフト2位でヤクルトに入団】
風張は大学入学直後の1年生の春からメンバー入りを果たし、全日本大学選手権でマウンドに立っている。最速147キロのストレートは大きな武器ではあったが、早々と台頭できた背景にはピッチングの変化もあった。
高校まではどちらかというと、三振を奪うことに重きを置いていた。それが大学になると、テンポを意識したピッチングで打たせることも具現化できるようになっていった。
変革を果たせた遠因をたどると、高校時代に対戦した花巻東の影響もあったという。
相手はセーフティバントや際どいコースをファウルする〝カット打法〟など、ピッチャーを揺さぶる術を知り尽くしていた。疲弊したところで、大谷のような長打のあるバッターにたたみかけられた──そんな経験が、風張をたくましくさせたのである。
「それまでは、どちらかというと『1球、1球全力で投げる』みたいなピッチングだったんですが、スピードよりコースを意識するところは意識したり、野手の守りやすさを優先してテンポを変えてみたり。ピッチングに強弱をつけられるようになったのは、あの花巻東戦がけっこうデカかったです。そういうところが大学生になって生かされたんで、あれが転機ではあったのかなって思いますね」
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