大谷翔平と高校時代にたった一度の対戦 元ヤクルト右腕・風張蓮が振り返る4打席 「自分とは別世界の選手だった」 (3ページ目)
目に見える、風張の成長曲線。その一方で、高校時代からすでに認め、その後の動向もインターネットのニュースなどで追っていた2学年下の「すごい選手」は、すでに別次元の住人になろうとしていた。
2012年夏、岩手大会準決勝。当時の高校生最速となる160キロを叩き出した大谷の異常さを、同じ地で高校時代を過ごした風張は痛切に感じ取っていた。
なんだ、これは? 大谷が計測した160キロの第一印象は、疑問と驚きが混在していた。
「試合はダイジェストで観たんですけど、ふつうに計測ミスだと思いましたよ。大谷選手が160キロを出した岩手県営球場ってあんまり球速が出ないところで、自分もあそこで投げた試合はあんまりスピードが出ませんでした。なんなら、ほかの高校生ピッチャーが150キロを出したのすら見たことがなかったくらいですからね。あの時点で、すでに自分とは別世界にいるイメージでした」
自分がステップアップを果たしていても、「すごい選手」はさらにその先を進んでいた。
風張は3年と4年に大学日本代表候補に選ばれ、ストレートの最速は151キロまで伸びていた。大学球界でも「プロ注目」と騒がれるようになり、14年のドラフト会議ではヤクルトから2位指名。高校時代に交わした樋越の約束を風張も自らのパフォーマンスで応え、プロへの扉をこじ開けたのである。
【プロで果たせなかったリベンジ】
アメリカ球界挑戦の表明から一転、投打の"二刀流"として日本ハムに入団した大谷は、プロ2年目のこの年、ピッチャーとして11勝、バッターとしては10本のホームランをマーク。プロ野球史上初となる「2ケタ勝利と2ケタホームラン」の快挙を成し遂げ、異次元の領域をさらに拡大させていた。
セ・リーグのヤクルトとパ・リーグの日本ハム。プロで対戦できる機会は、ペナントレース開幕前のオープン戦かシーズン中のセパ交流戦、頂上決戦となる日本シリーズと限られている。結論から言えば、風張はプロの舞台で大谷と相まみえることはなかった。
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