大谷翔平と高校時代にたった一度の対戦 元ヤクルト右腕・風張蓮が振り返る4打席 「自分とは別世界の選手だった」 (4ページ目)
歪ませる口元が、悔しさを表していた。
「オープン戦で日本ハムと試合をするタイミングに限って、僕が二軍に落ちちゃったり、やっと一軍でずっと投げられるようになったと思ったら、大谷選手がすでにメジャーに行ってしまったり。タイミングが噛み合わなかったです。当時は岩手県出身のプロ野球選手ってあんまりいなかったんで、『岩手対決』となれば僕も燃えたし、高校時代に打たれてもいたんでリベンジしたかったですけどね」
大谷がエンゼルスへ移籍した18年、風張は53試合に登板するなどヤクルトのブルペンを支えたが、これが彼にとってプロでのキャリアハイとなった。20年に自由契約となり、トライアウトを経て翌年にDeNAでプレーするも、わずか1年で再び戦力外となった。
通算登板数は93試合。2勝4敗、7ホールドポイント、防御率5.91。これが、風張が残したプロ野球での足跡である。
数字で判断すれば結果は乏しい。それでも、風張は目指していたプロ野球選手となった。この観点で言えば、大谷も花巻東時代に目標を細分化した、マンダラチャートを作成し、一つひとつをクリアして現在がある、という逸話は周知のとおりだ。
【プロになることが夢だった】
ふたりの大きな違い。それはおそらく、風張は「プロ野球選手になること」が目標で、大谷は「プロで活躍すること」を目指していたのではないか? 風張にそう向けると、質問を受け止めるように口を開いていた。
「『小さい頃からの夢』という意味では、プロに入るのがゴールだったわけですよね、僕にとっては。そこを原動力に大学まで頑張ってきたのは間違いないんで。それに対して『だからプロで活躍できなかったんじゃないか』って声も確かにあるんですよ。でも、僕みたいな目標を持っている選手はいるだろうし、そういう人を責めないでほしいんです。プロになれたらそこで満足するわけではないし、目標が『活躍すること』に変わる。その後にどうなれるかは本人次第というのは、プロなら誰だってわかっているんで」
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