大谷翔平と高校時代にたった一度の対戦 元ヤクルト右腕・風張蓮が振り返る4打席 「自分とは別世界の選手だった」 (5ページ目)
22年。風張は「現役続行」という目標を実現するべく、海を渡った。
日本のプロ野球を戦力外になった選手や独立リーグでプレーする選手を対象に、アメリカでメジャーリーグ傘下やメキシコなどのチームと対戦するトラベリングチーム「アジアンブリーズ」。このチームの一員となった風張は、一度だけ大谷を生で見かけたことがあったのだという。エンゼルス傘下のチームとの試合で、偶然にも球場のブルペンにいた同郷の後輩の姿を捉えた時、胸が脈打つ自分がいたのだとうれしそうに話していた。
「遠目に眺めただけですけどね。アメリカでも大谷翔平はみんな知っていますから。そんな選手と対戦したことがあるっていうだけでも、ありがたいことですよね」
この前年に9勝、46ホームランをマークしてアメリカン・リーグのMVPに輝いたスーパースターは、海外の選手にとっても憧れである。日本人の野球選手である風張は「ショウヘイ・オータニ」について聞かれることもあり、その度にうれしい気分になった。
「オレ、ハイスクール時代のオータニと対戦したことがあるんだ」
ワオ! 異国の人間が目を輝かせながら、自分を称えるように手を叩いてくれた。
風張は22年限りでユニフォームを脱いだ。そして、野球人生でたった一度だけ交錯した野球界の英雄は、24年に未知の領域だった50ホームラン、50盗塁の「50−50」に初めて到達。ホームラン、打点王の2冠にも輝きナショナル・リーグのMVPにも選ばれるなど、ドジャースのワールドシリーズ制覇の中心を担った。昨シーズンには二刀流を復活させポストシーズンで躍動。2年連続での世界一を投打で支えた。
他人の人生ではある。しかし、大谷が光を放てば放つほど、自分も幸福感を得られる。今では「ファン」だと誰にでも胸を張れる風張の、ちょっとした自慢でもある。
著者プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。
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