第一印象は「うわっ、細いな」 花巻東の1年生4番・大谷翔平と対戦した147キロ右腕が明かす怪物の片鱗 (2ページ目)
【球速147キロのプロ注目右腕に成長】
風張の素質をさらに伸ばしたのは、監督の屋形場哲也(やかたば・てつや)だ。教え子いわく「かなり勉強熱心な方」のもと、メディシンボールやプランクなどで体幹を強化。股関節の可動域なども高めていった。また、運動機能を促進すると言われる初動負荷トレーニングも導入しており、それらは田舎育ちの風張にとって目からウロコのメニューばかりだった。
「負荷の強度とか違いはありましたけど、メニューそのものはプロとそんなに変わらないような練習をさせてもらっていたんですよね。そのおかげで、理に適った体の使い方とかを学ぶことができたと思います」
中学時代に130キロ台後半だった球速は、2年生の秋には147キロまで伸びていた。部員が14人しかいない公立校のエースは、こうして「プロ注目」と呼ばれるようになる。
風張と大谷が"ニアミス"したのも、ちょうどこの時期だった。
中学3年生だった大谷が所属していた一関シニアから交流戦の申し込みが伊保内にあったのだと、監督から聞かされたのである。風張は、そこで初めて「すごい選手」と大谷を知ったのだが、話は立ち消えた。チームの総意で中学生のチームとの試合を断ったとはいえ、風張自身はこう思っていた。
「シニアの時から県内では有名だったんですよ。でもあの時は、大谷選手がどうこうっていうより、中学のチームに負けるのが嫌だったんで、僕はやりたくなかったですね」
自虐的に笑いながらも、風張の本音としては「中学生なんか相手にするレベルではない」といった矜持のほうが勝っていたはずである。
最速は147キロ。青森の光星学院(現・八戸学院光星)や八戸工大一、東北といった強豪私立と練習試合を重ねて経験を積めていたし、負けたとしても0対1といった僅差が多かった。伊保内は「絶対エースが無失点で抑え、味方打線が1点でも取れば勝てる」というようなチームだったとはいえ、試合になれば各球団のスカウトが風張をマークするべく球場に訪れるようにもなっていた。自身でもプロを目指せるレベルにあるのだと期待を抱くのも、自然な流れだったわけだ。
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