【プロ野球】DeNAクーパー・ヒュンメルが語る「衝撃だったイチローとの出会い」と「武蔵府中時代のほろ苦い思い出」
DeNAクーパー・ヒュンメル インタビュー(後編)
横浜DeNAベイスターズの新外国人であるクーパー・ヒュンメルにとって日本は、野球への愛情が深まった特別な場所でもある。
かつて日本の少年野球チームに所属していたDeNAのクーパー・ヒュンメル photo by Sankei Visual
【名門・武蔵府中に入団】
7歳の時、父親の仕事の都合で東京・代官山に移り住み、翌年には府中へと住まいを移した。そこで地元のリトルリーグチーム「武蔵府中」に入り、本格的に野球と向き合うようになった。
「武蔵府中リトルは、2003年のリトルリーグ・ワールドシリーズで世界一になったチームです。私はその年の秋に入団しました。本当に楽しくて、野球に夢中になりました。その経験があったからこそ、もう一度、日本でプレーしたいという思いをずっと抱いていました」
DeNAへの移籍が決まると、ヒュンメルは当時両親が撮影してくれた武蔵府中リトル時代の写真を見返したという。さらにインターネットで検索していると、思いがけない画像を見つけた。
「『プロになった武蔵府中リトル出身の3人』というキャプションとともに、茂木栄五郎(現・ヤクルト)、横尾俊建(現・日本ハムコーチ)、そして僕が一緒に走っている写真が出てきたんです。思わず『うわっ!』と声が出て、鳥肌が立ちました。本当に信じられなかったですね。
とくにエイゴロウ(茂木)のことはよく覚えています。ものすごくいい選手でしたし、名前の響きも強く印象に残っていました。プロ野球選手になったことは知りませんでしたが、それを知っても、驚きはありませんでした。というのも、ほかの子どもと比べて、エイゴロウの運動能力は群を抜いていたからです」
茂木はヒュンメルと同じ1994年生まれだが、早生まれのため学年は1つ上だった。その茂木に対して、後輩のヒュンメルは「23年越しの嫉妬心」を抱いているという。
「武蔵府中リトルに入って最初の練習の日、コーチに『ポジションは?』と聞かれて、自信満々に『ショートです』と答えました。でも、エイゴロウがすでにショートのレギュラーで、コーチはためらうことなく『キミは外野だ』と言いました。
それ以降、投手や捕手を含めてさまざまなポジションを守ってきましたが、ショートだけは一度もありません。今回、日本に来る時もたくさんのグラブを持ってきましたが、ショート用だけは持ってきていないんです(笑)」
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著者プロフィール
ブラッド・レフトン
1962年、米ミズーリ州セントルイス生まれ。地元ラジオ局で大リーグ取材に携わった後、92年ミシガン大学で修士号取得。その後、NHKの番組制作に携わるため来日。96年に帰国。現在、日米両国の雑誌やテレビでフリージャーナリストとして活躍中。日本人メジャーリーガーや日本でプレーする外国人選手の取材を積極的に行なっている。

