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【プロ野球】戦力外→移籍→また戦力外... クーパー・ヒュンメルが流浪の果てにベイスターズにたどり着くまで

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton

DeNAクーパー・ヒュンメル インタビュー(前編)

 今季からDeNAでプレーするクーパー・ヒュンメルが横浜にたどり着くまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。それどころか大きく曲がりくねり、起伏に富んだ、まさに波乱万丈の野球人生を歩んできた。

今季からDeNAでプレーするクーパー・ヒュンメル photo by Sankei Visual今季からDeNAでプレーするクーパー・ヒュンメル photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【昨季は1年間で5球団を経験】

 ヒュンメルは2016年にドラフト18巡目(全体531位)でミルウォーキー・ブルワーズに入団。プロへの第一歩を踏み出したが、その後の10年間でじつに9球団を渡り歩いた。

 とくに昨シーズンは、目まぐるしい移籍の連続だった。

 まず、ヒューストン・アストロズのスプリングキャンプに参加し、5本の二塁打を放つなど打率.316と好成績を残したが、シーズン開幕前に戦力外通告を受けた。

 4月4日にはニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶが、ピンストライプのユニフォームに袖を通すことは叶わなかった。

 その後、ボルティモア・オリオールズとメジャー契約を結んで昇格したものの、出場機会を得られないまま戦力外通告を受け、マイナー契約に。

 そして5月30日、再びメジャー昇格を果たし、同日のシカゴ・ホワイトソックス戦の8回にライトの守備固めとして出場。これが2025年シーズンにおけるメジャー初出場となったが、その後に回ってきた打席で三振を喫すると、またしても戦力外となった。

 次にアストロズとマイナー契約を結び、6月14日にメジャー昇格。8月3日までおもに左翼手として36試合に出場した。スイッチヒッターとしての器用さを武器に起用されたが、104打席で3本塁打、14四球、7打点、打率.172、1盗塁と、十分な結果を残せずに再び戦力外となった。

【日本の野球に合っている】

 その後、シーズン5球団目となるタンパベイ・レイズとマイナー契約を結び、結局、そのままシーズンを終えた。

 1年の間に何度も環境が変わるなかで、適応し続けなければならない過酷な状況。それでもヒュンメルはあきらめることなく、自らの可能性を信じてプレーを続けてきた。

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著者プロフィール

  • ブラッド・レフトン

    ブラッド・レフトン

    1962年、米ミズーリ州セントルイス生まれ。地元ラジオ局で大リーグ取材に携わった後、92年ミシガン大学で修士号取得。その後、NHKの番組制作に携わるため来日。96年に帰国。現在、日米両国の雑誌やテレビでフリージャーナリストとして活躍中。日本人メジャーリーガーや日本でプレーする外国人選手の取材を積極的に行なっている。

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