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【プロ野球】DeNAクーパー・ヒュンメルが語る「衝撃だったイチローとの出会い」と「武蔵府中時代のほろ苦い思い出」 (3ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton

 憧れのヒーローから多くを学べると期待していたヒュンメルだったが、開幕からわずか3週間足らずでマイナー降格となり、イチローと離れることになった。さらに昇格を果たせぬまま、オフに移籍することが決まった。

 それ以降、イチローと接する機会はなかったが、昨年アストロズに在籍中、シアトルに遠征する機会があった。2年前のキャンプ中に果たせなかった思いを胸に、ヒュンメルは「今度いつチャンスが訪れるかわからない」と、イチローにサインをお願いした。

 昨年はちょうど、イチローが野球殿堂入りを果たした特別なシーズンであり、ヒュンメルは記念パッチ付きのマリナーズの白い背番号51のユニフォームを用意した。

「お願いしたら、快くサインを書いてもらいました。ようやく手にすることができて、本当にうれしいです。家宝にします」

 家宝となったそのユニフォームは、彼の野球人生を支える"原点"として、これからも背中を押し続けるだろう。


クーパー・ヒュンメル/1994年11月28日生まれ、アメリカ・オレゴン州出身。右投両打で、外野手と捕手をこなすユーティリティプレーヤー。2016年のMLBドラフト18巡目(全体531位)でミルウォーキー・ブルワーズに指名されプロ入り。その後はダイヤモンドバックス、マリナーズ、アストロズ、ヤンキース、オリオールズなど複数球団を渡り歩いた。22年にメジャーデビューを果たし、昨年までMLB通算119試合に出場。マイナーでは高い出塁率を武器に実績を残している。26年から横浜DeNAベイスターズに加入。勝負強さと柔軟な適応力を兼ね備えたスイッチヒッターとして期待される。

著者プロフィール

  • ブラッド・レフトン

    ブラッド・レフトン

    1962年、米ミズーリ州セントルイス生まれ。地元ラジオ局で大リーグ取材に携わった後、92年ミシガン大学で修士号取得。その後、NHKの番組制作に携わるため来日。96年に帰国。現在、日米両国の雑誌やテレビでフリージャーナリストとして活躍中。日本人メジャーリーガーや日本でプレーする外国人選手の取材を積極的に行なっている。

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