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病と闘う森友哉の同級生・福森大翔が語る大阪桐蔭で過ごした日々「あの3年間がなかったら、今これだけ踏ん張れてたんかな...」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

「ほんとにバッティングが悪くて、準決勝が終わったあと、西谷(浩一)先生に『決勝は代えてください』って言いに行ったんです。そしたらめちゃくちゃ怒られて。『期待するものがあるから、おまえを使ってるんや。そもそも力がなかったらメンバーにも入れてない。それをそんな気持ちで試合に出て、メンバーから外れたヤツがどう思うか考えてみろ!』って」

 自らの甘さに気づかされ、気持ちを入れ替えて挑んだ履正社との決勝戦。2回にレフトフェンス直撃の先制タイムリーを放ち、最大のライバルに雪辱を果たした。甲子園出場を決めた直後、場内へ向けたインタビューを森と並んで受けたことは、今も記憶のなかに色濃く残る青春の思い出だ。

「あの時はほんとにうれしかったです。甲子園を決めた感動というより、とにかくうれしくて。僕もトモも、涙より笑顔でした。負けられないプレッシャーもありましたし、大会前はいろいろあったけど、最後にみんなと喜びあえた。たぶん、『野球ってすごいなぁ』と思った笑顔だったと思います」

 そして甲子園では、2回戦の日川(山梨)との試合でサヨナラヒットも経験した。選抜では逃したヒーローとなり、試合後の取材ではお立ち台にも上がった。

「3対3の延長10回裏。ワンアウト一、三塁の場面で、西谷(浩一)先生からまさかのエンドランのサインが出たんです。今でも西谷先生に会うと、必ずこの話が出ます。相手ピッチャーは190センチ超えの右投手で、真っすぐに力はあるけど、けっこう抜けるタイプだったんです。それに対して、僕のバッティングもまだしっかりバットが出ていない感じだったんでしょうね。だから積極性を出させ、しかも叩きつけないといけないということで、エンドランだったみたいなんです。

 ただボールは、避けたくなるようなところに来て......エンドランじゃなかったら絶対に振らないボールを打ったらどん詰まり。『やばい!』と思いながらも気持ちで押し込んだら、ライト前にポトンと落ちてサヨナラになったんです。病気になってからもこの話を西谷先生としたことがあって、その時にこう言っていただいたんです。『あれだけどん詰まりの当たりがヒットになるんやから、おまえは何か持っている。だから(病気も)大丈夫や!』って」

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