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病と闘う森友哉の同級生・福森大翔が語る大阪桐蔭で過ごした日々「あの3年間がなかったら、今これだけ踏ん張れてたんかな...」 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 この年の大阪桐蔭は、4番・平田、エース・辻内崇伸(元巨人)に"スーパー1年生"の中田翔(現・中日)を擁し、ベスト4進出。ここから全国の強豪へと上り詰めていく大阪桐蔭の強さとスケールに魅せられた。

 小学6年からは硬式クラブチームの都島ボーイズの小学部に入部。都島ボーイズは中学部もあり、そこから平田や浅村栄斗(楽天)らが大阪桐蔭に進んでいた。

 中学部へ上がった夏、今度はチームのOBである浅村の応援で甲子園へ。あいにく、雨のために観戦した試合は1回途中で中止となったが、大阪桐蔭の1番を務めた浅村はこの大会、通算29打数16安打、2本塁打の活躍でチームを全国制覇へと導いた。

 そんな先輩の活躍に、福森の気持ちはますます大阪桐蔭へと傾いていった。

【3連覇がかかった選抜でまさかの結末】

 中学3年時はチームの3、4番を打ち、ポジションは捕手。同じボーイズリーグには、やはり強打の捕手として名を馳せていた森友哉(オリックス)がいた。お互いのことを認識していたふたりは、中学3年になって初めて試合をし、結果は福森たちのコールド負け。

「一方的にやられたんですけど、トモ(森)はバッティングもキャッチャーとしてもすごくて、最後にはマウンドにも上がって......また投げるボールが速くて。『なんやコイツ、えげつな!』と思っていたら、大阪桐蔭に行ったらいたんです(笑)」

 実際、大阪桐蔭に入学すると"捕手・森"の壁は限りなく高く、それとは別に当時の福森は以降も長く悩まされることになる腰痛を抱えており、医者からは「捕手は厳しい」と言われていた。そんなこともあり、入部まもなく一塁へコンバート。そして2年春からは外野を守ることになった。

 新チームになると「5番・ライト」からスタートし、3年春の選抜では前を打ってきた近田拓矢が故障したために4番を任されることになった。

 チームは春・夏・春の3連覇がかかっていたが、2回戦で県岐阜商に4対5と惜敗。最後の打者になったのが福森だったが、この試合のゲームセットの場面を覚えている高校野球ファンは少なくないだろう。

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