病と闘う森友哉の同級生・福森大翔が語る大阪桐蔭で過ごした日々「あの3年間がなかったら、今これだけ踏ん張れてたんかな...」 (3ページ目)
1点を追う大阪桐蔭は9回裏、二死二塁から福森が放った打球はゴロとなり、前進守備のセンターの前に転がった。打球が飛んだ瞬間、二塁走者の峯本匠は迷うことなく本塁を狙った。しかし、センターからの好返球を捕球した捕手がベース前で待ち構えていた。次の瞬間、「負けられない」という思いが爆発した峯本は、頭から捕手に突っ込み体当たり。その勢いでボールは捕手のミットからこぼれたが、主審は即座に守備妨害を宣告し、ゲームセットとなったのだ。
「あの場面を思い出す時、僕のなかでもうひとつの記憶が蘇るんです。あの試合、トモがふくらはぎの筋断裂でゲームには出てなかったんです。それであの打席に入る前にトモが僕のところに伝令に来て、『ここで打ったらヒーローやぞ!』と言って、頬っぺたをギューっとつねって、緊張をほぐしてくれたんです。
それで当たりはよくなかったけど、センター前に抜けてくれて『よっしゃ! 同点でもヒーローや!』と思って振り返ったら、峯本が空を飛んでいました」
春夏連続甲子園出場を果たし、父と記念写真を撮る福森大翔さん 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る
【サヨナラ安打でお立ち台に】
12年前の記憶をたどる回想は、熱のこもった言葉に乗って、春から夏へと舞台を移しながら続いていった。
「夏は、大阪大会に入る前からチームの雰囲気が悪かったんです。選抜後の春の大阪大会で履正社に負け、夏に向けて気合は入っていたんですけど、練習試合でも乗り切れない戦いが続いていたんです。大会前最後の練習試合でも、奈良の公立校に負け、みんなストレスが溜まっていたんでしょね。
大会初戦の前日の夜、寮で選手たちだけで集まってミーティングをしたんです。そこでしょうもないことから揉めて、けっこう荒れたんです。もともと"お山の大将"の集まりなんで、『なんでおまえにそんなこと言われなあかんねん!』みたいな感じが続いて、『こんな状態で戦えるんか?』『大丈夫か?』と、最悪の雰囲気で大会に入ったことを覚えています」
実際、大阪大会は序盤から際どい試合があった。なにより、福森自身の調子が上がらず、当時のスコアを確認すると、準決勝までの6試合で17打数1安打。大会序盤は5番を任されていたが、最後は7番に降格していた。
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