語学も実績もゼロから始まった井上心太郎のアメリカ挑戦記 次なる目標はNPBドラフトで指名されること
井上心太郎インタビュー(後編)
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高川学園(山口)からアメリカ・西ネブラスカ短大への進学を決めた井上心太郎だが、語学への自信はまったくと言っていいほどなかった。
「中学、高校とあまり勉強をしていないかったので(笑)。留学をサポートしてくれた会社が留学予定者を集めてTOEFL(英語を母語としない者を対象とした英語能力テスト)の勉強会を開いてくれたんですけど、英会話はまた別ですから。アメリカに来た当初は、相手が何を言っているのかわかりませんでした」
「チーム勝たせる選手」として高い評価を受ける井上心太郎 写真は本人提供この記事に関連する写真を見る
【仲間に恵まれた留学生活】
アメリカでの生活は、困難を極めたのではないか。そう質問すると、井上は「うーん、そうですね......」と口ごもった。
「正直言って、何かものを買おうとした時に『物価が高いな』と思ったくらいで......。苦労したと思ったことは、あまりないんですよ」
西ネブラスカ短大での生活は、「周りに恵まれた」と井上は振り返る。無名の日本人留学生のために、日本語でサポートしてくれるスタッフなどいない。しっかりと勉強して単位を取得しなければ、野球などさせてもらえない。そんな環境でも、親切な友人たちが井上を救ってくれた。
「野球の言葉は、なんとなくわかるじゃないですか。日常生活では、友人たちが僕のためにわかりやすい英語を使ってくれて。3カ月もすると耳が慣れて、他愛もない会話ができるようになりました。当時の仲間とは、今も連絡を取り合っています」
野球の面はどうだったのか。井上は高校時代、ほとんど公式戦での実績がない。相当な技術的な進化があったのではないかと想像していたが、井上はやんわりと否定した。
「何かを大きく変えたわけではないです。もともと野球にはずっと自信があったので。ホームランをバコバコ打てるタイプではないですけど、強い打球を打てるのが自分の持ち味なので、そのスタイルを生かしたプレーをしようと心がけていました」
西ネブラスカ短大での2年間を経て、井上のもとにはさまざまなオファーが届いた。そのなかにカンザス州立大への編入という誘いもあった。
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

















































