勇退する甲子園通算40勝の名将 鬼から仏に変わったのはいつ?「叱るよりも褒める」指導者人生 (3ページ目)

  • 大友良行●文 text by Ohtomo Yoshiyuki

── いま振り返ってみて、高校野球の監督人生はどうでしたか。

「指導者生活57年は長かったのか、短かったのかわかりません。勝っても負けても勉強と反省の繰り返しです。ただ、毎日を精一杯生きるという意味では、本当に楽しいものでした。いろんな人にお世話になり、ここまで続けることができました。感謝しかありません」

── 教え子たちを含め、高校野球界へメッセージをお願いします。

「自分の子どものように3年間預かってきたので、とてもかわいい。その教え子たちが社会で頑張っていると聞いた時は、指導者冥利につきます。もちろん教え子だけでなく、野球をしている他校の選手たちも頑張ってほしい。高校で過ごした3年間を、次のステージに生かしてほしいと思います」


阪口慶三(さかぐち・けいぞう)/1944年5月4日、愛知県生まれ。東邦高から愛知大に進み、卒業後、母校である東邦高の社会科教諭となり野球部の監督に就任。「鬼の阪口」と呼ばれるスパルタ指導で、春夏合わせて24回甲子園に出場。89年春のセンバツで元木大介(元巨人)、種田仁(元中日など)を擁する上宮を破り優勝。東邦高を定年退職したあと、05年に大垣日大高に移り、初出場した07年春のセンバツでいきなり準優勝。大垣日大でも春夏合わせて11回甲子園に出場。23年夏の甲子園に出場し1勝を挙げたことで、甲子園出場35回、通算勝利数は歴代7位の40勝となった

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