勇退する甲子園通算40勝の名将 鬼から仏に変わったのはいつ?「叱るよりも褒める」指導者人生

  • 大友良行●文 text by Ohtomo Yoshiyuki

 東邦、大垣日大の監督として甲子園出場35回、通算勝利数は歴代7位の40勝を挙げた阪口慶三監督は今シーズン限りで勇退する。かつては「鬼の阪口」と呼ばれる厳しい指導で、全国屈指の強豪校へと育て上げた。大垣日大では、それまでの厳しい指導から一点、褒めて育てる方針へと変わり、「仏の阪口」として甲子園の常連校となった。名将・阪口慶三監督に高校野球人生を振り返ってもらった。

東邦、大垣日大の監督として歴代7位の甲子園通算40勝を挙げた阪口慶三氏 photo by Ohtomo Yoshiyuki東邦、大垣日大の監督として歴代7位の甲子園通算40勝を挙げた阪口慶三氏 photo by Ohtomo Yoshiyukiこの記事に関連する写真を見る

【大垣日大では脱・鬼監督を目指した】

── 勇退を決められた一番の理由は何ですか。

「疲れが残るようになりました。生徒と一緒にグラウンドで同じ疲れを味わうのが指導者なのに、ベンチに座り込んでしまうことが多くなってきてね。それに生徒を褒めたり、叱ったりする時に大きな声も出なくなってきた。私の持ち味は人一倍大声を出すことなのに、それができない。これ以上は無理かなと感じるようになりました。退くことについては、女房が一番喜んでいるはずです。試合を見るのが怖いそうです。甲子園に35回も出ているのに、来たのはたったの2回。県大会にいたっては、ゼロですから」

── 孫でもある高橋慎選手と甲子園に3回出ました。来春から明治大に進学するとのことですが、祖父としての役割を果たしたことも勇退するきっかけになりましたか。

「それも大いにあります。孫に関しては、周りに気を遣いました。3年間、おじいちゃんと呼ばれたことはなかった。私自身も特別視しない、できるだけ話をしないと決めていました。時につらく当たることもありました。でも、今年夏の甲子園のおかやま山陽戦でホームランを打ってくれて、本当にうれしかった。孫と一緒にできるなんて......充実した3年間でした」

── 東邦から大垣日大に移られ、"鬼の阪口"から"仏の阪口"と言われるようになりました。きっかけは何だったのですか。

「大垣に来て、まず驚いたのがユニフォームの着こなしでした。だらしないし、プレーも低レベル。生活態度も含め、基本から鍛え直すことにしたのですが、選手たちのなかで『パニックになって死んでしまう』『もうやめたい』という声があることを知り、これではいかんと。やればやるほど選手が遠のいてしまう。時代が違いますから、叱るよりも褒めることが大事だと。勝つためには、今のやり方を捨てるべきだと思いました」

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