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【追悼】2000年の長嶋茂雄は非情采配に徹した 優勝後「すまなかった」とミスターは選手の前で涙した

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 ミレニアムのON対決を前に、長嶋茂雄が泣いた。

 それも選手の前で泣いたのだ。今から四半世紀前の2000年、ジャイアンツが二岡智宏のサヨナラホームランで4年ぶりのリーグ優勝を決めた5日後、9月29日のことだ。最後の公式戦を戦い終えた神宮球場のクラブハウスに選手を集めた監督の長嶋は、ウッと目頭を押さえると、突然、泣き始めたのだという。

「今年は、何がなんでも勝たなければならなかった。そのために非情だと思われるような起用法もずいぶんしてきた。みんな、本当にすまなかった......」

 それは1分あまりのことだった。

 選手の前でも常にスーパースターであり続けた"ミスター・ジャイアンツ"が、現役を引退した1974年10月14日、後楽園球場のグラウンドを一周する際にタオルで顔を覆いながら涙して以来、初めて人前で見せた涙だった。

 監督として3年間、優勝から遠ざかり、なりふり構わず勝ちにこだわった長嶋にとって、「すまなかった」というひとことは選手たちにどうしても言葉にして伝えておかなければならない想いだったのだ。

2000年シーズン、リーグ優勝を果たし、「ON対決」を制して日本一に輝いた巨人・長嶋茂雄監督 photo by Sankei Visual2000年シーズン、リーグ優勝を果たし、「ON対決」を制して日本一に輝いた巨人・長嶋茂雄監督 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【ミスターにしか背負うことができない宿命】

 2000年のシーズンを前に、ジャイアンツはFAでホークスから工藤公康、カープから江藤智を獲得し、ダレル・メイら外国人の補強も万全。ただでさえ有り余るほどの戦力にレギュラークラスの選手を何人も加えて、優勝が絶対条件だと言われるなか、長嶋にはあり余る戦力をとっかえひっかえするリッチな采配が許された。豊富すぎる戦力のおかげでケガ人や不振にあえぐ選手が出てきても代わりはいくらでもいた。先発ローテーションは贅の限りを尽くした。

 その反面、満腹のあまりに腐らせる戦力も出てしまった。先発させても打たれれば早い回で交代させる、打てないと見ればメンバーから外す......2度目のチャンスをもらえない選手たちに不満が募っていくのを長嶋も感じていないわけではなかった。しかしその時の長嶋は、大事なひと言を選手に言うことができなかった。

「いざという時にはおまえの力が必要なんだ、今は我慢してくれ」

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著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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