中島佑気ジョセフは「45秒の壁」を超えてからがすごかった 44秒台連発で「陸上競技の核に触れられている」
中島佑気ジョセフ(陸上400m)インタビュー@後編
◆中島佑気ジョセフ・前編>>世界陸上1カ月半前は出場すら危うい「崖っぷち」だった
◆中島佑気ジョセフ・中編>>なぜ200mではなく「キツい400m」を選んだのか
今年9月に開催された「東京2025世界陸上」にて、男子400mで6位入賞した中島佑気ジョセフ(富士通)。今や日本記録保持者であり、世界で活躍するスプリンターだ。
しかし意外にも高校時代は、インターハイで決勝に進むことさえ叶わなかった選手だった。
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中島佑気ジョセフは東洋大で才能が一気に開花した photo by Koreeda Ukyoこの記事に関連する写真を見る「ケガが多かったんです。高2で200m、100mをやろうとしてケガをして、その秋はまったく試合に出られず、高3に入ってからも何度か再発しました。
本当はインターハイすら行けるかどうかぐらいの感じだったんです。都大会は3位で、南関東大会ではランキングで真ん中ぐらいでしたから」
それでも、南関東大会では予選で当時の自己ベスト(48秒05)をマークし、決勝では4位に食い込み、個人種目の400mと4×400mリレーの2種目で全国大会の切符をつかんだ。
「自分でもポテンシャルはあると思っていたので、そこからしっかり巻き返せば(全国で)表彰台も狙えると思っていました」
中島は自信を持って、全国の舞台に乗り込んだ。
しかし、予選のレースでまたしても脚を痛めてしまう。準決勝は組3着となり、決勝はあと一歩、届かなかった。
「高校生はインターハイがすべて。僕もそこにかけてきたので、目の前の現実がめちゃくちゃ悔しかったです」
大会終盤には4×400mリレーが残されていたが、脚を痛めた中島は出場を見送った。顧問の山村貴彦先生も、中島に無理を強いることはなかった。
「たぶん僕が走っていたら、リレーで決勝に行けたと思うんです。でも、準決勝で落ちてしまいました。山村先生は僕を走らせたかったと思うんです。でも、そうはしなかった。インターハイの、しかも決勝に行けるかどうかという時に、使わないという判断をしてくださいました。
高校時代にめちゃくちゃ練習量を積めば、たぶんもっと速くなっていたと思うんです。ただ、成長期なので消耗してしまうリスクもある。先生は僕のポテンシャルを理解してくださっていて、高校時代よりも大学やシニアでの活躍を考えてくださっていました。だから、ケガをした時に無理をさせることもなかった」
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著者プロフィール
和田悟志 (わだ・さとし)
1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。


















