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【証言・棚橋弘至】武藤敬司が振り返る意外な過去 「オレもタナも、最初はファンからブーイングを浴びていたんだよな」 (4ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

── 今となっては信じられないですけど、武藤さんにもそんな時期がありましたよね。

武藤 うんうん。世論というかさ。たださ、今になってスペースローンウルフ時代の自分の動きを見ると、とても信じられねぇんだよ。「こいつ、なんでこんな動きができるんだよ!?」って思うもん。それでもファンからはブーイングを浴びた。それって会社の空気のつくり方っていうか、プッシュの仕方が下手だったんだと、オレは勝手に解釈してるけど。いや、マジで「こいつ、本当にすげえ奴だな!」って思うもん。

── かつては新日本プロレス全体が陰で、だからこそよかった部分はありますよね。そんななかで陽なレスラーはどうしても軽く見えてしまうというか。

武藤 タナの人気が出るようになったのも、オレがいなくなったあとからだよね。

── 武藤敬司が新日本のプロレスを変えたのは間違いない。

武藤 まあまあ、NKホールからってよく言われるけどね。

── 1990年4月27日の伝説の凱旋試合。かつては猪木さんや長州さん、前田日明さんたちに憧れてプロレスラーになった人が多かったのが、それ以降は武藤敬司に憧れてプロレスラーを目指す人が現れて、武藤スタイルのプロレスが主流になっていって......。

武藤 そして今やそんなレスラーばっかだもんね。昔の昭和のスタイルのプロレスをやる人がすっかりいなくなっちまったよ。

つづく>>


武藤敬司(むとう・けいじ)/1962年12月23日生まれ。山梨県出身。84年10月5日、新日本プロレスでデビュー。同期の蝶野正洋、橋本真也との「闘魂三銃士」として注目を浴び、エースとして活躍。もうひとつの顔であるグレート・ムタはアメリカと日本で絶大な人気を博す。2002年2月に全日本プロレスに電撃移籍すると、同年10月には社長就任。13年5月に全日本を退団すると、同年7月にWRESTLE−1を旗揚げ。20年4月で同団体が活動休止となるとフリーとしてNOAHに参戦。21年2月にGHCヘビー級王座を戴冠しメジャー3団体の王座を獲得する"グランド・スラム"を達成。さらにNOAHに電撃入団。 23年2月21日、東京ドームにてプロレスを引退

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