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【Jリーグ連載】読売クラブの「天才」の系譜を継ぐ菊原志郎はこうして育った「スルーパスを読まれたら、夢にまで出てくる」

  • 浅田真樹●取材・文 text by Masaki Asada

東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第42回)
番外編:菊原志郎インタビュー(中編)

Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく同連載、今回も前回に続いて同クラブのアカデミーで育ち、後進の育成にも携わった菊原志郎氏(現FC今治U-12監督)のインタビューをお送りする。

読売クラブのジュニアユース(当時ユースB)時代、菊原志郎氏がドイツに行った際の遠征記録冊子 photo by Manabu Takahashi読売クラブのジュニアユース(当時ユースB)時代、菊原志郎氏がドイツに行った際の遠征記録冊子 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る

第41回◆小学生で読売クラブ入りした菊原志郎が受けたカルチャーショック>>

――小学校時代の菊原志郎さんは、どんな選手に憧れていましたか。

菊原志郎(以下、菊原)小学校高学年くらいから海外サッカーの映像が見られるようになって、僕が最初に見たのは、1978年に行なわれたアルゼンチンでのワールドカップの決勝戦。大量の紙吹雪のなかでアルゼンチンが優勝するのを夜中に見ていました。

 次の年(1979年)にはワールドユースが日本であったので、(ディエゴ・)マラドーナを見ましたね。その頃から映像が見られるようになって、僕はいい選手のプレー映像をひたすら見ていました。

――そこでも、読売流の見て学ぶ、を実践していたわけですね。

菊原 よく観察して、こういうふうに足を使っているんだなとか、こんなパスを遠くに出せるのはなぜだろうとか、こういうことが大事なんだなっていうことがやりながらわかってくる。そういう感覚でいろいろ試していくと、試合のなかで、トップレベルの選手のプレーが即興で組み合わさる。たとえば、この瞬間はマラドーナの切り返しで、そこからジーコのパス、みたいな。そうすると、オリジナルのプレーになってくるんです。

――とはいえ、見て学んだことを自分の体で再現するとなると、難しいのでは?

菊原 僕自身はマルチスポーツっていうか、いろんなスポーツを子どもの時にやっていたんですよ。そのおかげで、自分が思ったように体がすごくスムーズに動くので、いろんな選手のスーパープレーでも吸収するのは早かったです。

――どんなスポーツをしていたのですか。

菊原 友だちと野球をやって遊んだり、学校のクラブでは卓球をして、冬はスキーキャンプに行ったり、水泳と空手は習い事でやっていました。

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