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【Jリーグ連載】小学生で読売クラブ入りした菊原志郎 練習場まで「親の送迎はダメ。ジャージで電車に乗るな、とも言われた」

  • 浅田真樹●取材・文 text by Masaki Asada

東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第41回)
番外編:菊原志郎インタビュー(前編)

Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく同連載、今回から3回にわたって同クラブのアカデミーで育ち、後進の育成にも携わった菊原志郎氏(現FC今治U-12監督)のインタビューをお送りする。

読売クラブ入りした経緯などを語る菊原志郎氏 photo by Manabu Takahashi読売クラブ入りした経緯などを語る菊原志郎氏 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る――菊原志郎さんは、小学4年生の時に読売クラブに入ったとのことですが、どんなきっかけがあったのですか。

菊原志郎(以下、菊原)たまたま夏休みに、日本テレビ主催のサマーキャンプ(西山スクスクスクール)があったんです。山梨県の廃校になった施設を利用した1週間ぐらいのキャンプで、午前中はサッカーをして、午後は山や川で遊ぶっていう。そこに読売クラブの和後(昭司)選手や、コーチの竹本(一彦)さんとかが来て、サッカーを教えてくれたんですけど、その時に最後、優秀選手賞みたいな感じの『和後賞』っていうのをもらって、「読売でサッカーやらないか」って誘われました。

――サマーキャンプには、サッカーがうまい子が集まっていたのですか。

菊原 結構うまい子がいましたよ。たぶん親が熱心で、よく調べて参加していたと思うので、ある程度能力が高い子たちも来ていました。そのキャンプから、4、5人が読売に入ったんじゃないかな。

――菊原さんは当時、読売クラブのことは知っていたのですか。

菊原 そのキャンプも父が申し込んだので、僕自身は知らなかったですね。社会人のサッカーっていうのは、あまり知らなかったので。

 ただ、実は僕の家の近くに日産自動車サッカー部のグラウンドがあって、時々練習を見に行っていたんです、弟と丸刈りのふたりで。練習が終わったあとに、選手と遊んでもらっていたんですけど、それが加茂(周)さん、清水(秀彦)さん、早野(宏史)さんだったという(笑)。大人のサッカーについて知っていたのは、その程度です。

――では、読売の和後選手のことも......。

菊原 まったく知りませんでした。でも、その和後さん(の引退)と入れ替わりで、僕が読売のトップの選手になって、その時に和後さんの(背番号)16番を受け継ぐことになるんです。なので、僕にとって16番は意味のある番号でした。

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