【Jリーグ連載】読売クラブの「天才」の系譜を継ぐ菊原志郎はこうして育った「スルーパスを読まれたら、夢にまで出てくる」 (2ページ目)
なぜいろんなことやったかっていうと、これも僕の家の子育てにつながるんですけど、うちの父が子育てで大事にしていたことは、ひとつ目が自立、もうひとつは文武両道、そして志を持て、と。なので、僕の名前のシロウのシは志っていう字なんですよね。
12歳くらいまでに、自分がこれだと志せる夢や目標になるものを見つけてほしい、ということで、いろんなスポーツや遊びをやらせてもらった。そのおかげで、水泳では体全体を効率よく動かすことや持久力を身につけたり、空手だと相手の攻撃を紙一重でかわすための相手との距離感を覚えたり、スキーだとバランス感覚や関節の柔軟性を身につけたりとか、いろんなスポーツをすることで向上した運動能力がサッカーにとても役立ちました。
――読売に入って、技術的に上達したことはどんなことですか。
菊原 僕の場合は、ドリブルとシュートはすごく自信があったんですけど、地元の少年団ではあまりパスは考えていなかった。なにしろボールを持ったら、ひとり、ふたり、3人と抜いてシュートするっていうことばかりやっていたので。
でも、読売に入ってみたら、スルーパスのうまい選手やワンツーのうまい選手がいて、すごく刺激的でした。パスのうまさは自分もできるようになりたいと思って試し始めました。
――小学生時代で、すでにかなりの技術を身につけていたのですね。
菊原 6年生くらいの時には、ドリブル、シュート、スルーパス、ワンツーと、この辺はかなり高いレベルでできたんじゃないかなと思います。中1の時に(読売クラブの遠征で)ドイツへ行った時、ドルトムント、シャルケ、ケルンなどと試合をしたんですけど、ほとんどの試合で点取っていましたから。
ブンデスリーガのトップレベルの、しかも1歳上の中2(14歳以下)のチームの試合に、僕は中1(13歳)で入っていたんですけど、それでもかなりできたと思います。父が言うには、「こっち(ドイツ)でやらないかって言われたよ」みたいなこともあったみたいですけど、そういう個人技ではかなり抜けていたんじゃないかなと思います。
――小学4年生で読売に入って以降は、トップチームを目指すという目標に迷いはなかったのですか。
菊原 まったくないですね。ひと言で言うと、楽しくてしょうがないから。毎日が楽しくて、朝起きると早くグラウンドへ行きたい。早くあそこでサッカーがしたい。みんな、競い合って早くグラウンドに来て、いつまでも帰らない。たぶん、すごく刺激があったんだと思います。同じメンバーでやっているんだけど、やっぱりみんな考えてやっているので、昨日うまくいったことが今日はうまくいかなかったりして、日々違う。で、それがまた面白い。
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