ドーハの悲劇が起こる直前、「『キープ』って声がかかっているのに、武田修宏はドリブルしていった...」
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第27回
全5試合出場のいぶし銀が体感した「ドーハの悲劇」(4)
アメリカW杯アジア最終予選、最後のイラク戦は後半9分にイラクが同点ゴールを決めて1-1となった。
吉田光範は重たい体を引きずって、4戦目の韓国戦を累積警告による出場停止でリフレッシュした森保一をうまく使いながら、イラクの攻撃を防いでいた。我慢の時間が続くなか、チームを生き返らせたのが、中山雅史のゴールだった。
後半24分、吉田が「オフサイドっぽかった」という抜け出しからの得点で、日本が再び2-1とリードを奪った。
「ただ、安心はできなかったですね。イラクには余力があったので、勝ち越したけど、ここからが本当の勝負だと思いました」
吉田の予想どおり、イラクは捨て身になって勝ちにきていた。30分をすぎると、日本の選手たちの足が止まり出し、イラクの攻撃に対応できなくなりつつあった。ラモス瑠偉は何度もベンチに向かって北澤豪の名前を叫んで、選手交代を要求していた。
「その時間になると、イラクにやられている感がすごくて、相手の攻撃に反応できなくなっていたんです。このままじゃやられると思ったので、ラモスさんはミドルゾーンで攻守に貢献できるキーちゃん(北澤)の投入を要求していました。
僕もキーちゃんに入ってほしかった。北朝鮮戦、韓国戦と勝った試合で、キーちゃんは攻守でものすごく効いていた。この状況を変えてくれるのは、キーちゃんしかいないと思っていました」
だが、オフトが選択したのは、北澤ではなく、武田修宏だった。
武田がどんな指示を受けていたのかわからなかったが、吉田はとにかく武田にはボールを追って、前でキープしてほしいと思った。
「武田は、韓国戦の終わりにも中山に代わって出てきたんです。その時、『前線でキープしてくれ』ってみんな言っていたし、オフトからもそういうメッセージを受けて入ったはずなのに、わけがわからないロングシュートとか打ったりして......。だから、この時も『大丈夫かな』と思いました。
そうしたら、もう(試合が)終わる寸前だったかな。武田はラモスさんからボールを受けると、そこで『キープ』って声がかかっているのに、(前に)ドリブルしていって中には人がいないのにクロスを上げたんです。
僕らからすれば、チームのために前でキープして『1秒でも、2秒でも(時間を)削ってくれよ』って思っていたんですが......。最後の最後で、チーム全員の意識をひとつにできなかった」
武田のクロスは精度を欠いたため、中にいた三浦知良(カズ)には届かなかった。それでも、森保がすぐに詰めて相手ボールを回収し、そのミスを帳消しにした。
悲劇は、その1分後のロスタイムに起きた。
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