ドーハの悲劇が起こる直前、「『キープ』って声がかかっているのに、武田修宏はドリブルしていった...」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 イラクのCK。吉田には、レフェリーが「あとワンプレー」と言ったことが聞こえた。

 吉田はボールがセットされた際、時間がないので、そのまま蹴ってくると思っていた。だが、イラクが選択したのはショートコーナー。タイミングをずらして、中にクロスを入れてきた。

「その瞬間、パッとみんなを見た時、動きが止まっていたんです。本来ならボールの軌道を読んで動くはずなんですけど、(誰もが)動きがピタッと止まって、僕もボールを見てしまった。何とかヘディングしてボールに当たらないかなと思ったんですが、当たらずにボールが抜けていった。

 あとは、『シゲ(松永成立)、頼む』と思ったんですが、もう見送るしかなかった。(相手のシュートが)入った瞬間は、『あぁ、終わった......』でした。実際にはまだ試合は終わっていなかったんですけど、もう何も考えられなかったです」

 ほどなく試合終了の笛が鳴った。

 試合は2-2のドローに終わり、得失点差で3位になった日本はアメリカ行きのチケットを逃した。

 ラモスは頭を抱えてピッチに座り込み、柱谷哲二は両手で顔を覆って涙にくれた。失点の瞬間、ベンチ前で崩れ落ちた中山も涙が止まらなかった。

 ピッチ上で動けずにいた選手たちに、オフトが一人ひとりに声をかけて回った。吉田は何を言われたのか、まったく覚えていないという。

 ホテルに戻り、選手それぞれが各部屋に集まって飲み始めた。それまでは、一滴もアルコールを取らず、「アメリカに行くまでは」と我慢してきた。

 吉田の部屋には、松永が訪れていた。松永は相手のシュートに反応できなかったことを悔やみ、涙を流して自分を責めた。その姿を見て、吉田も一緒に涙した。

「本当に、ただただ悔しかった。いつもどおり動けていたら、もっと何かできたはずなのに......。体力が、最後の5試合目はもたなかった。

 あと一歩、二歩......あと10cmでも前に行けたら、アメリカに行けたかもしれない。そう思うと、僕らにはまだW杯に行けるだけの力がなかったのかもしれないですね」

 その日から、吉田はイラク戦を自分のなかに封印した。

 数年後、そのイラク戦を見返す機会があったという。日本代表は思ったほど悪くない――吉田はそう思った。

「試合はドローなんですけど、負けた感が強かったですし、イラクにかなり攻められて、自分は動けていないと思っていたんです。でも、映像を見返すと、(自分たちは)それほど悪くなかったですね。ただ、相当疲れているせいか、全体的に重かった。

 最後のシーンは、見ていません。あのシーンだけは絶対に忘れないですし、忘れられない。だから、あえて見る必要はないかなと。ドーハで戦った選手は、あのシーンだけはきっと、一生忘れられないと思います」

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