【Jリーグ連載】読売クラブでユースに上がれるかどうか、という選手がトップチーム入りを果たせたのはなぜか
東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第44回)
番外編:冨樫剛一インタビュー(前編)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく同連載、今回から3回にわたって同クラブのアカデミーで育ち、後進の育成にも携わった冨樫剛一氏(現横浜F・マリノスユース監督)のインタビューをお送りする。
読売クラブのアカデミー時代について語る冨樫剛一氏 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る
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――読売クラブは、カテゴリーの垣根を越えてプレーすることが当たり前の環境だったそうですね。
冨樫剛一(以下、冨樫)衝撃だったのは、ユースに入ってすぐ、ラモス(瑠偉)さんと同じチームでゲームをやった時、センチ単位でポジショニングを指示されたことです。
ラモスさんに「30センチ、こっちだよ」って言われて、「30センチって、こんなもんかな」と思いながら、少しポジションをズラしたら、どんどんボールが回ってきて。それまでは、基本的にボールとゴールと、自分と敵と味方とっていう、それぞれの位置のなかで、原則に基づいてやってはいましたけど、「こんなに細かいのか」と驚きました。
――自分がトップチームに上がれそうだという手応えは、いつ頃から感じていたのですか。
冨樫 僕は中学生(ジュニアユース)の時、本当に(試合に)出るか出ないかっていう感じだったし、ユースに上がれないって言われていたぐらいでしたから。
それでも、2学年上の先輩に僕と似たような人がいて、その先輩はユースに上がったら一気にユース代表(年代別日本代表)まで行っちゃったんですよ。それが、ブラウブリッツ秋田の監督、吉田謙さん。僕は吉田さんに憧れていたので、自分もユースに上がって成長がともなったら、そうなれるのかなっていう思いがありました。
――結果的に、冨樫さんはユースチームに上がっています。
冨樫 僕はユースに上がらせてもらっても、センターバックの5番手だったので、まったく試合には絡めませんでした。ただ、吉田さんがヘディング好きで。僕は毎日、吉田さんのヘディング練習に「トガ、蹴ってくれ」と言われてつき合っていたので、それを繰り返しているうちに、自分もとにかくヘディングが強くなっていたんです。
それで、他のセンターバックの調子がすごく悪かったり、ケガをしたりした時、たまたま自分が試合に出るタイミングがきて、それをきっかけにレギュラーを取れた。その後、"ユース選抜"に入った時に、トップのキャンプにも行かせてもらったりして「自分も(トップ昇格に)近くなっているのかな」っていう感覚にはなりました。
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