【Jリーグ連載】年代別代表に選ばれ「人生で1、2を争う過酷な練習を経験した」菊原志郎が一番プレーしやすかった選手とは
東京ヴェルディ・アカデミーの実態
~プロで戦える選手が育つわけ(連載◆第43回)
番外編:菊原志郎インタビュー(後編)
Jリーグ発足以前から、プロで活躍する選手たちを次々に輩出してきた東京ヴェルディの育成組織。その育成の秘密に迫っていく同連載、今回も前回に続いて同クラブのアカデミーで育ち、後進の育成にも携わった菊原志郎氏(現FC今治U-12監督)のインタビューをお送りする。
1990年、日本代表にも選出された菊原志郎氏 photo by Shinichi Yamada/AFLOこの記事に関連する写真を見る――日常的に読売クラブという、ある意味特殊な環境でプレーしていて、たとえば年代別日本代表に選ばれた時に、戸惑うようなことはありませんでしたか。
菊原志郎(以下、菊原)当時の代表は、厳しいアジア予選を想定していたと思うんですけど、練習ではかなり走りました。能力の高い選手を集めて、ハードにトレーニングして、戦える集団にしなきゃいけないっていうのは、自然な流れだったとは思うんですけど、朝5時半からクロスカントリーを走って、それから午前と午後に練習。練習の最初はインターバル走が多くて。(読売では)素走りゼロの僕が、どれだけ走るのかっていうぐらい、もう本当に人生で1、2を争う過酷な練習を経験しました。
――もう代表には呼ばれなくていい、とは思いませんでしたか。
菊原 どんなに厳しくても代表に残りたいっていう気持ちは自分のなかにありました。どんな練習だろうと、代表選手になりたいって。
(代表の活動中は)夜寝る時も、ものすごく眠いんだけど、寝たくない。寝たら一瞬で朝が来て、「走るぞ!」って起こされるから(苦笑)。でも、それはそれでいい経験だったし、そういう苦しいことを一緒に経験した仲間は、本当に一生の仲間になる。やっぱり人生のなかで、ああいう本当に苦しい、厳しい経験をしたことはよかったかな。
――日常とのギャップがものすごく大きい。
菊原 ふだん走っていない分、衝撃でしたね。代表ってこんなに走るのか、みたいな。世界との厳しい戦いのなかでは、フィジカルの強さとか、そのなかで得られる精神的な強さとかが必要だっていうことで、そういうトレーニングをされたんだろうな、と。
読売だったら、そんな経験はしないので、そういうなかで本当に鍛えられたなって思います。僕らの年代で、それに耐えて代表で生き残ってプレーした読売の選手は、たぶん僕とミニラ(中村忠)とか数人じゃないですか(笑)。読売だと耐えられないですよね。
でもやっぱり、当時は韓国がそういう部分(フィジカルやメンタルの強さ)で世界とわたり合っていたっていう部分もあって、それぐらいしないと、本当に戦えるレベルにたどりつかなかったんだと思います。
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