【Jリーグ連載】年代別代表に選ばれ「人生で1、2を争う過酷な練習を経験した」菊原志郎が一番プレーしやすかった選手とは (2ページ目)
――年代別代表のチームには、菊原さんと感覚が合う選手はいましたか。
菊原 僕は中3の時に初めて代表に、U-17世界選手権の予選に向けたチームに呼ばれたんですけど、当時、僕が一番プレーしやすかったのは、礒貝洋光です。
――礒貝選手のどんなところが合っていたのですか。
菊原 礒貝は身のこなしというか、動きがすごくしなやかで、珍しく左右両足が使える選手でした。僕自身もマラドーナに憧れて、ずっと左足を練習していたから両足が使えるんですけど、礒貝もそうで、さらに視野が広く、観察力や判断力も優れていました。一緒にプレーして、サッカーの感覚がすごく合ったのは、礒貝でした。
――代表でプレーすることは、読売とは違う刺激がありましたか。
菊原 日本を代表して戦うのが初めてでしたから、その責任感ですよね。ユニフォームには日の丸が入っていて、試合前の国歌を聞くと、やっぱり感慨深いというか、代表でプレーしているんだなっていう喜びと、代表して戦う以上は負けちゃいけないんだっていう責任を感じました。
日本中から集まったいい選手たちと協力しながらサッカーをやるっていうのは、また読売とは違った感覚でしたし、そこでは違った学びがあって、自分をまたひと回り大きくしてくれた。読売だけでやっていたら、またちょっと違っていたかな、と思います。
――現代サッカーでは、サッカーそのものが変わってきていると同時に、育成年代の選手の気質も変化していると思います。そうした変化について、どう感じていますか。
菊原(今の選手は)とことんやるっていう感覚が、少し薄いのかな。それはやっぱり、グラウンドを使える時間が限られるとか、家の周りにサッカーをする場所が少ないとか(ということが影響している)。
自分にしかできないことって、だいたい個人練習で身につくものなんですよね。だけど、今日の練習は(グラウンドを使える時間が)1時間半しかありませんってなると、全体練習をやったら、もうおしまい。Jクラブだと食事が用意されていたりもするので、「早く着替えてごはんに行け」となっちゃうから、みんなが同じ練習しかしない。残ってボールを蹴れない。そうすると、なかなか強い個性ってつかないんですよね、みんなが同じことしかやっていないから。
――物理的に、"とことんやる"のが難しい状況がある、と。
菊原 難しさはあります。人と違う練習をしないと、しかも、とことんやらないと、強い個性ってなかなか出てこないんだけど、そこがやっぱり習い事みたいな感覚になっていると、なおのこと個性が出てこない。だいたい個性がある子って、そればっかりやっているとか、ひたすらひとりで何かやっている。そうやって個性って身につくものなので。
個性を磨く時間をなかなか作りにくい環境になってきているっていうのも、事実だと思います。
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