引退を発表のりくりゅうが成し遂げた「金メダル以上の功績」 逆風を受けながらもへこたれず、力強く歩んできた
4月17日、フィギュアスケートペアの三浦璃来(24歳)と木原龍一(33歳)の「りくりゅう」が、SNSで現役引退の報告をしている。
2月に開催されたミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケート団体で銀メダル、ペアで金メダルを獲得。一躍スターとなったふたりの動向は注目されていたが、決断を下した。報告では、ファンの応援やスポンサーの支援に感謝し、コーチングスタッフとの共闘やふたりで過ごした時間を「宝物」だと振り返り、こう締めくくっている。
<競技人生には区切りをつけますが、私たちはやり切ったという気持ちでいっぱいで、悔いはありません。これまでのすべてが誇りであり、大切な財産です。これからもペアを、日本の皆様にもっと知っていただけるよう、新しいことに2人で挑戦していきます。>(三浦、木原のSNSより)
2019年にペアを結成したりくりゅうは、何を成し遂げたのか?
引退を発表したミラノ・コルティナ五輪金メダリストの三浦璃来と木原龍一 photo by Sunao Noto(a presto)この記事に関連する写真を見る
【氷の上でも外でも阿吽の呼吸だった】
ミラノ五輪でりくりゅうはショートプログラム(SP)でミスが出て5位発進だった。金メダルどころか、メダルも厳しい状況に追い込まれた。しかし、フリーで世界歴代最高得点を叩き出し、逆転の金メダルを勝ち獲った。
フリーの演技が終わり、取材エリアは深夜23時をまわっていた。いくつもの取材を終えたあと、ようやくペン記者の前に来たふたりは、ひどく喉が渇いたようだった。スタッフにペットボトルを渡されて、同時にキャップを開け、小さな乾杯をした。そろってひと口を飲み、満たされたような顔になった。氷の上でのふたりは阿吽の呼吸だったが、生きる律動も合っていた。
三浦はフリー演技前に「今日は龍一君のために滑るから」と約束したそうだが(木原自身はSPのリフトで出た不運なミスを自分のミスだと捉えて、周囲が手をつけられないほど落ち込んでいた)、その理由をこう説明していた。
「以前の私だったら、ここまで強くなれなかったです。(木原が)毎試合サポートしてくれたからこそ今大会は私が強くなれました。自分たちが『できる』と信じてやればできるって」
ペア結成以来、木原がりくりゅうをけん引してきた。9歳上で、ペア競技のキャリアも長く、三浦でペア3人目。世界選手権やオリンピックでの実績も豊富だった。そして、カップル競技は男性が女性をリードするという性質上のものもあっただろう。
しかし、メダルがかかった正念場、木原は三浦によって奮起を促されたことを、こう振り返った。
「ずっと泣いていたんですけど、璃来ちゃんがすごくしっかりしてくれていた。『積み重ねてきたことがあるんだから絶対にできる』って言われて。『ここでオリンピックをあきらめていいわけない。自分たちで攻めきる』と切り替わりました」
このふたりの信頼関係はまさに盟友で、家族をも超えたものだったかもしれない。
りくりゅうは2019−2020シーズンにペアを結成し、わずか3カ月後のNHK杯で5位に輝いている。関係者の称賛を浴びたがその後はコロナ禍で活動が制限されるなか、2021年NHK杯でメダルを獲得。2022年北京五輪では団体の銀メダルに貢献する。2022−2023シーズンは、三浦が肩を痛めるなか、GPファイナル優勝、世界選手権優勝と大躍進した。
続く2023−2024シーズンは、木原が腰椎分離症で前半を棒に振ったが、2024−2025シーズンは再び世界選手権で王者に。2025−2026シーズンは、GPファイナルで優勝後、全日本選手権のSPで世界最高得点を出すも三浦が肩を脱臼しフリーを棄権。再起したミラノ五輪で頂点に立った。
ざっと書くだけでも、ふたりが逆風を受けながらもへこたれず、力強く歩んできた道程がわかるだろう。
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著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。

