ドーハの悲劇が起こる直前、「『キープ』って声がかかっているのに、武田修宏はドリブルしていった...」 (3ページ目)
イラク戦での最後のゴールは「一生忘れられない」と言う吉田光範氏 photo by Fujita Masatoこの記事に関連する写真を見る 吉田は「ドーハの悲劇」から2年後、33歳で現役を引退した。
その後、指導者となり、ジュビロ磐田のジュニアユース監督やトップチームのコーチ、ユースのコーチ、監督などを歴任し、今は地元の愛知県刈谷市で『ヨシダサッカースクール』を経営している。
ドーハの仲間たちも同様に、それぞれ解説者や、Jリーグの監督やコーチなどを務めている。ボランチとして共闘した森保は、日本代表の指揮官となった。2022年カタールW杯では、ドイツ、スペインを撃破して日本をベスト16に導いた。
「森保の活躍はうれしいですね。30年前、W杯出場を逃したカタールで開催されたW杯で、すばらしい戦いを見せてくれた。
現役時代は試合に向けて淡々と準備をして、プレーで結果を出していた。(誰も知らない)新参者があの代表チームでプレーするのは大変だったと思うけど、最終的に森保は欠かせない選手になりましたからね。
監督になっても淡々と準備をして戦い、すべての責任を負うという覚悟でやっているのを感じました。自分が監督という立場をいつ失うかわからないと言っていたので、今も昔もめちゃくちゃ戦っているなと思いました」
年明けのアジアカップでベスト8に敗れて批判を浴びたが、吉田は「森保は転んでもただでは起きない。次はいろいろと考えて、また結果を出していくと思うので、心配はしていない」と語る。
「僕らの時代、海外組は奥寺(康彦)さんしかいなくて、海外に行くと憧れの選手と試合ができるみたいな感じで、世界が非日常だったんです。でも今は、日本の選手が海外のトップレベルで普通にプレーしている。海外でのプレーが日常化し、無意識に同じレベルのサッカーができるようになっている。
(日頃から)そういう経験値があるから、ドイツやスペインにも勝てるようになったんだと思うんです。選手が海外で学び、成長していくなかで、僕ら指導者は、子どもたちがそこに向かうための基本的な技術を教え、世界と戦える準備ができるようにしていかなければいけないと思っています」
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