ドーハの悲劇が起こる直前、「『キープ』って声がかかっているのに、武田修宏はドリブルしていった...」 (4ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun

 吉田は今、小学生を中心にサッカーを教えている。オフトのもとで学んだことはその後、指導者となるうえで非常に有益だった。

「オフトは、その選手の一番の強みを評価し、それを発揮できるポジションで使っていました。たとえば、森保だと、ポジショニングのよさに加えて、相手のボールを奪うこととかが得意なので、それを生かすために、どういう(選手との)組み合わせがいいのかを常に考えていました。

 子どもたちは、得意なことを心地よくさせてあげるといいプレーをするので、それを周囲との組み合わせで、どう最大限に生かしてあげるのかというのは、オフトのやり方から学んだことですね」

 人を生かし、チームを機能させるための指導は、今も、30年前も変わらない。

 吉田に、最後に聞きたいことがひとつあった。ドーハで5試合をタフに戦った日本代表だが、森保が監督として率いる現日本代表と対戦したら、どっちが勝つのか。

「0-5とかじゃ、きかないんじゃないですか。もうボコボコにされますよ(笑)」

(文中敬称略/おわり)

吉田光範(よしだ・みつのり)
1962年3月8日生まれ。愛知県出身。刈谷工高卒業後、ジュビロ磐田の前身となるJSL(日本サッカーリーグ)のヤマハに入団。当初はFWでプレー。その後、中盤にポジションを移しても高い能力を発揮。攻守に安定したプレーを見せて、ハンス・オフト率いる日本代表でも活躍。1992年アジアカップ優勝に貢献し、1993年W杯アジア最終予選でも全試合に出場した。現在はFC刈谷のテクニカルディレクターを務める。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る