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武藤敬司が社長・棚橋弘至に送るエール 「100年にひとりの逸材をつくらねぇと。今の時代、AIに聞けば教えてくれるよ(笑)」

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

【短期連載】証言・棚橋弘至〜武藤敬司がかつての付き人を語る(後編)

 格闘技が台頭し、K−1やPRIDEがリングを席巻した時代。かつての猪木イズムが揺らぎ、プロレスそのものの存在意義が問われた。そんな混沌のなかでエースとなり、新日本を支え続けたのが棚橋弘至だった。そんな激動の歴史を知る武藤敬司が、棚橋が背負った重圧と、その功績を語った。

2023年にプロレスを引退した武藤敬司 撮影/タイコウクニヨシ2023年にプロレスを引退した武藤敬司 撮影/タイコウクニヨシこの記事に関連する写真を見る

【全日本プロレスを選んだ本当の理由】

── 2009年の1・4東京ドームで棚橋選手にIWGPヘビー級のベルトを明け渡しましたよね。

武藤 ただ、タナ(棚橋弘至)はまだできあがっていなかったよ。下手したら(中邑)真輔のほうが濃かったよ。でもタナに渡したことは、オレの名前を残すためにもよかったんじゃねぇかな。たぶんさ、あいつは昔のプロレスが嫌いだね。それはきっとオレ以上にそうだと思うよ。

 そこでオレとあいつの何が違うかっていうと、オレはその昔のスタイルのプロレスと闘ったからね。そのもの自体と実際に試合した経験がある。ただ、新日本が総合格闘技にも関わっていった時はタナもいたからね。あの時、あいつはどんな心境だったのかなと思うよ。

── 自分もいつ格闘技のリングに駆り出されるかわからない。

武藤 あの時は大変だったと思うよ。会社の方向性がまったく固まってないんだもん。こっちの人は「格闘技だ」と言って、また別の人は「プロレス一本だ」と言ってるんだからレスラーは振り回されるだけだよ。あれでオレを筆頭にレスラーたちが一瞬にして新日本からいなくなったよね。

── 武藤さんは当時の格闘技路線に嫌気がさして全日本に行ったというのは事実ですか?

武藤 そうだよ。全日本はオレのそれまでのスタイル、バックボーンでできるプロレスだったからね。新日本に所属していた時から上がってたけど、全日本のファンがすげぇ歓迎してくれてたんだよ。でも、新日本を辞めて行ったら途端にブーイングだったけど。

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