武藤敬司が社長・棚橋弘至に送るエール 「100年にひとりの逸材をつくらねぇと。今の時代、AIに聞けば教えてくれるよ(笑)」 (2ページ目)
── 「おまえは侵略しに来たのか」と(笑)。
武藤 そうそうそう(笑)。オレは若い頃から海外でばっかりやっていて、オレのプロレスっていうのはアメリカンスタイルのジャパニーズバージョンというか。でも、いずれはプロレス全体がそうなっていくのはわかってたよな。絶対に格闘技系には行きたくないというか、オレは柔道でトップを獲ってなくて、そういうアマチュアリズムの厳しさっていうのは知ってるからさ。
アマチュアは本当に厳しい世界だから。だから坂口(征二)さんだって長州(力)さんだってマサ(斎藤)さんだって、アマチュアの厳しい世界を知ってるから、プロレスが格闘技だという感覚は一切持ってなかったじゃん。オレも含めてそういう人たちが新日本のトップを張ってて、タナたちの時代にはそういう存在がいなかったんだよ。
── かといって、すくすくとプロレスに専念できたわけでもない。
武藤 時代の狭間だったよな。K−1、PRIDEというものが存在してたから、そっちと敵対するっていうか、プロレス内でプロレスだけやるって感じじゃなかったもんね。プロレスと格闘技って絶対に分かれてるほうがいいよ。分かれねぇようにしようとしていたのが猪木さんじゃん。
変な話、プロレスも格闘技もやれっていう猪木さんの感覚は、「スーパーマンになれ」って言ってるのと一緒だもん。それはまず無理だよ。格闘技は60までは絶対にできねえからね。オレなんか20いくつですでに膝が痛いんだから(笑)。
【オレはマイナーチェンジを繰り返した】
── 2023年1月、武藤さんの引退直前に棚橋さんは「61歳までやろうかな」と言っていたんですよ。つまり武藤さんよりも長くやりたいと。
武藤 いや、オレの勝手な想像だけど、タナは足の具合が悪くなってから自分の辞めどき、きっかけを考えてたと思うよ。彼のスタイルっていうのはあの肉体とチャラチャラしたキャラというさ、それが若い時から変化してないんだよ。オレは違うもん。オレは思うように動けなくなった頃からマイナーチェンジを繰り返してきたからお客さんも無理なく感情移入してくれてたし、最後のベストバウトをとった試合(2021年2月12日、潮崎豪戦)で久しぶりにフランケンシュタイナーをやって、かっこよくはねえけど、やっぱりお客さんが感情移入してくれた。
棚橋はそういうマイナーチェンジをしないまま歳をとってきたから厳しかったよね。ふつうは飛べなくなったらスタイルをチェンジするんだよ。まあ、わかんねーけど、オレ自身はそのたびそのたびに苦し紛れでやってきた結果かもしれないし。でも、タナはここからも大変だよ。社長に専念するっていうのも、本当に大変だよ。
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