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【F1】「ポスト角田裕毅」を育てられるか? 「今のままだとまずい」ホンダのドライバー育成の課題を浅木泰昭が指摘

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi

元ホンダ・浅木泰昭 連載
「F1解説・アサキの視点」第8回 前編

 角田裕毅選手が2025年シーズン限りでレッドブルのシートを失ったことで、今年のF1はじつに6年ぶりに日本人のレギュラードライバー不在のシーズンとなった。

 今シーズン、角田選手はレッドブルとレーシングブルズの両チームでテスト兼リザーブドライバーを担う。また、昨年の全日本スーパーフォーミュラ選手権でチャンピオンに輝いた岩佐歩夢選手は前年に続きレーシングブルズでテスト兼リザーブドライバーを務める。世界耐久選手権(WEC)に出場する平川亮選手もトヨタと提携するハースで前年同様にリザーブドライバーとして起用される。

 ホンダやトヨタもそれぞれドライバーの育成プログラムを持ち、これまで国内外のレースで活躍する数多くの選手を育ててきた。しかし、いまだF1の頂点に立つドライバーは誕生していない。日本の自動車メーカーの育成プログラムは今後どういう方向に進むべきなのか? 元ホンダ技術者でF1解説者の浅木泰昭氏に話を聞いた。

角田裕毅がシートを失い、2026年シーズンのF1は日本人選手不在となった Photo by Redbull角田裕毅がシートを失い、2026年シーズンのF1は日本人選手不在となった Photo by Redbullこの記事に関連する写真を見る

【ホンダのドライバー育成の課題とは】

 ホンダが4輪のドライバー育成プログラムを本格的にスタートさせたのは1995年です。自社製のフォーミュラカーを使ってプロの4輪ドライバーを養成することを目指し、鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)が誕生しました。

 しかしホンダが企業としてSRSの運営に直接関わっておらず、主体はあくまで鈴鹿サーキットでした。初代校長を務めていただいた日本人初のレギュラーF1ドライバーの中嶋悟さん、2019年から校長と副校長をそれぞれ務める佐藤琢磨さんと中野信治さんなどの協力を得ながら、運営も鈴鹿におまかせするという体制が長く続いていました。

 転換点になったのは2022年です。ホンダ・レーシング(HRC)が2輪だけでなく4輪のレース活動も見るようになったことを契機に、ホンダ自らが責任を持ってスクールという育成プログラムをサポートする形にして、名称もホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿・フォーミュラ(HRS-Formula)に変更しました。

 SRSを設立した際には「世界に通用するドライバーを育てる」という目標を掲げていましたが、ホンダがドライバー育成をストーリー立ててしっかりとできていたとは言えません。たとえば、毎年どれくらいの人数の受講生をSRSで育て、卒業したスクール生をどのカテゴリーで走らせ、どういうプランで世界最高峰のF1で活躍できるようなドライバーへと育てていくのか、という明確なプランはなかったと思います。

 というのも、SRSを設立したあと、ホンダはつねにF1に参戦していたわけではありません。撤退と参戦を繰り返し、ホンダの育成プログラムのサポートを受けていたとしてもF1ドライバーには必ずしもなれないという時代もありました。さらに言えば、これまでホンダは自分たちのF1活動で結果を出すことに精一杯で、世界で活躍できるドライバー育成をしっかりと考えている余裕はありませんでした。

 そういう状況のなかでも、2002年にはSRSの卒業生である佐藤琢磨選手がF1にデビューし、ジョーダン、BAR、スーパーアグリで活躍。2008年シーズンまでF1ドライバーとしてステアリングを握りました。

 2016年にSRS-Fを卒業した角田裕毅選手は2018年にF3に参戦すると、翌年にはF2にステップアップ。デビューシーズンから好結果を残し、2021年にトロロッソ(現レーシングブルズ)でデビューを果たします。その後、5シーズンにわたってレギュラードライバーとして活躍することができました。

 それでも前述したように、ホンダが計画的にドライバーを育成して佐藤選手や角田選手をF1に送り込んだというよりは、偶然の要素が強かったと私は感じています。ホンダがF1活動をしている時に育成ドライバーのふたりがいいタイミングで海外のレースで活躍し、ステップアップしていったことが大きかった。

 世界で活躍するドライバーを育てるためには今のままではまずい。これからはHRCとしてきちんとした戦略を立てて育成プログラムを運営していくことを企業の責任としてやっていかなければならないと思っています。

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著者プロフィール

  • 川原田剛

    川原田剛 (かわらだ・つよし)

    1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。

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