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【プロレス連載】スタン・ハンセンの引き抜き合戦を振り返る 伝説の「首折り事件」とブロディとのコンビ (4ページ目)

  • 大楽聡詞●取材・文 text by Dairaku Satoshi

 余談ですけど、サンマルチノは1981年10月4日に、アメリカ・ニュージャージーで引退試合をしています。しかしその後の10月9日、全日本の創立10周年記念シリーズに来日。蔵前国技館で馬場さんと組んで、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助組と激突しました。これが、事実上の引退試合です。サンマルチノと馬場さんの間には、それほど深い信頼関係がありましたからね。

――ハンセンはサンマルチノとの試合で有名になったあと、1977年1月に新日本に参戦しています。

柴田:サンマルチノ戦のあと、ハンセンのことをよく思っていなかったビンス・マクマホン・シニアから「WWWFでの契約延長」か「新日本プロレス行き」を提案され、新日本を選んだわけです。この時、ハンセンがサンマルチノに相談したら、日本行きを薦められたそうですよ。

 ただ、サンマルチノは「猪木のことはわからないが、馬場が言ったことは100パーセント信用できる」とアドバイスしたようです。この言葉もあったから、ハンセンは1981年に全日本に移籍し、その後は全日本ナンバーワン外国人レスラーとして活躍したのかもしれませんね。

【プロフィール】

柴田惣一(しばた・そういち)

1958年、愛知県岡崎市出身。学習院大学法学部卒業後、1982年に東京スポーツ新聞社に入社。以降プロレス取材に携わり、第二運動部長、東スポWEB編集長などを歴任。2015年に退社後は、ウェブサイト『プロレスTIME』『プロレスTODAY』の編集長に就任。現在はプロレス解説者として各メディアで記事を掲載。テレビ朝日『ワールドプロレスリング』で四半世紀を超えて解説を務める。ネクタイ評論家としても知られる。カツラ疑惑があり、自ら「大人のファンタジー」として話題を振りまいている。

【写真】 ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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