「真央ちゃんや佳菜子ちゃんを『頑張ってね』と見送るだけでは......」鈴木明子、28歳での五輪出場の舞台裏
連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第7回 鈴木明子 後編(全2回)
2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会〜2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。
第7回は、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会と五輪2大会連続出場を果たした鈴木明子の軌跡を振り返る。後編は、2度目の五輪へ向けた道のりと現役最終盤の挑戦について。
2014年ソチ五輪に28歳で出場した鈴木明子 photo by Kyodo News
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【浅田真央やコストナーを破る快進撃】
初の五輪となった2010年バンクーバー大会を終えた鈴木明子は、さらなる得点アップを意識するようになった。
翌2010−2011シーズン、フリーではこれまで3回転+ダブルアクセルだった連続ジャンプのひとつを、より難度の高いダブルアクセル+3回転トーループにする挑戦を始めた。だが、ジャンプがなかなか安定せず、このシーズンのGPシリーズは2戦連続2位でGPファイナルは4位と結果は出したものの、得点は170点台と足踏みした。
しかし2011−2012シーズンに進化を見せ始める。フリーのみならず、連続ジャンプが3回転+2回転だったショートプログラム(SP)でも、3回転トーループ+3回転トーループを取り入れた。
GPシリーズ初戦スケートカナダ2位のあとのNHK杯。SPはその3回転+3回転を含めてノーミスで滑って公認自己ベストの66.55点を出して首位発進とする。
「3回転+3回転は前季からコーチに『絶対に必要になる』と言われて始めました。20年間のスケート生活のなかで、ショートでそれを初めて降りられたのでうれしくて跳び上がってしまいました。公式練習で3回転+3回転は降りられたけど次のルッツで転倒していましたが、(本番では)勢いに任せないでコントロールできたのがよかったです」
鈴木はそう言って、喜びをあらわにした。
翌日のフリーは浅田真央の追撃を振りきり、自己ベストの合計185.98点での優勝。それでも後半の3回転ジャンプ2本が1回転になるミスもあり、「優勝はうれしいですが、まったく満足がいかない。すごく悔しいです」と振り返った。
それでもそのフリーは演技構成点ですべて、SPと同じ7点台後半と高い評価。可能性を感じさせる試合だった。その後、GPファイナルはカロリーナ・コストナー(イタリア)に次ぐ2位で、全日本選手権でも浅田に次ぐ2位と安定した実力を発揮した。
2度目の挑戦となった2012年世界選手権は、SPで日本勢3番手の5位と出遅れたが、フリーはジャンプのミスが出ながらも、コストナーに次ぐ2位の得点を獲得すると、合計180.68点にして日本勢最上位の3位で、自身初の表彰台に上がった。
さらにこのシーズン最終戦の世界国別対抗戦では、合計ではコストナーを抑える187.79点で優勝。高いレベルでの足固めをするシーズンとした。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

