町田樹が競技人生をかけてつかんだソチ五輪の切符「ふだん自分のことが好きではないけど今日は好きになりたい」
連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第8回 町田樹 前編(全2回)
2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会〜2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。
第8回は、2014年ソチ五輪に出場した町田樹の軌跡を振り返る。前編は、国内の強力なライバルたちと切磋琢磨し、初の五輪代表を決めるまでの道のりについて。
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2013年全日本選手権2位でソチ五輪の切符を手にした町田樹 photo by Kyodo News
【日本トップへ迫りきれない苦悩の日々】
2006−2007シーズンの全日本ジュニア選手権で優勝し、シニアカテゴリーへ移行した2009−2010シーズンには全日本選手権4位、四大陸選手権2位の成績を収めた町田樹。
翌2010−2011シーズンでは、ネーベルホルン杯のフリーで初めて4回転トーループを決めてシニア国際大会初優勝を果たす。初参戦のGPシリーズには2戦に出場したが、中国大会5位、ロシア大会11位。全日本選手権も6位と振るわなかった。それでも、最終戦のトリグラフトロフィーで非公認ながら236.65点を出して優勝。レベルアップのきっかけをつかんだ。
その翌シーズンは、大学を休学しアメリカに拠点を移してアンソニー・リュウコーチに師事する。だが、初出場のNHK杯はフリーでジャンプのミスを多発して総合7位。全日本選手権では、高橋大輔と小塚崇彦、羽生結弦らがいるなかでショートプログラム(SP)を3位発進するも、4回転ジャンプを控えたフリーで順位を落として総合4位に終わった。
2季ぶりに出場した四大陸選手権では、SPで自己ベストを更新する82.37点を出しながらも、フリーで崩れて総合7位。国内トップ勢に迫ることはできなかった。
なかなか乗り越えられない厚い壁があった。2012−2013を迎える直前、町田は前シーズンについて、「技術はうまくなりましたが、自分が納得いく試合は1〜2試合しかない悔しいシーズンでした」と振り返っていた。
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

