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町田樹が競技人生をかけてつかんだソチ五輪の切符「ふだん自分のことが好きではないけど今日は好きになりたい」 (4ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【20年間の競技人生で勝負した全日本】

 町田は前シーズンの反省を生かし、ソチ五輪シーズンには練習拠点を大阪に移し体幹トレーニングも強化した。すると、一気に覚醒したような滑りを見せるようになった。

 初戦を8月上旬と早い始動としたソチ五輪シーズン。GPシリーズ初戦のスケートアメリカは、冒頭に4回転トーループ+3回転トーループを入れた構成のSPをノーミスで滑り、自身初の90点台となる91.18点で首位発進。フリーでも4回転トーループを2本入れる構成に挑み、細かいミスはありながらも174.20点を出し、自己ベストを30点近く上回る265.38点という合計点で圧勝した。

 そしてGPシリーズ2戦目のロシア大会も、SP2位発進からフリーで逆転して257.00点で優勝。高いレベルでGP連勝を果たした。

 ランキング2位での出場だったGPファイナルのSPは、ジャンプのミスがあり6位発進。惨敗した前年大会が頭をよぎるような結果になったが、フリーでは前半の4回転トーループ2本を確実に跳ぶほぼノーミスの滑りで170.37点をマーク。合計236.03点で総合4位と盛り返し、精神面での成長も見せた。

 迎えた勝負の全日本選手権。SPを前にして「ロシア大会以降、練習も含めノーミスをしたことがないのですごく不安でした」と町田。しかもその際の町田は、大西勝敬コーチが「今季は8月から7戦目なので(町田は)かなり疲れている。先々週は全身がむくんで倒れ、病院では極度の疲労だと言われた。そうなるくらいに練習もしていました」と、心配するほどの状況だった。

 しかし、町田は「五輪を狙うならチャンスは今シーズン限り。20年間そのためにやってきたから、ここで逃げ腰になったら絶対に後悔する」との思いがあった。

 その強い気持ちがノーミスの演技につながり、羽生に次ぐ2位発進。「ミスが許されない大舞台であれだけの演技ができたのはとてもうれしいです。ふだんは自分のことを好きではないですが、今日は好きになりたいです」と、納得の表情を見せた。

 だが3位の小塚とは僅差で油断できない状況にあった。翌日のフリーへ向けて町田は、「GPファイナル優勝の羽生くん以外はまだ誰もソチの光は見えていないし、(自らも)まだ崖っぷち。自分の手でソチ五輪の切符を獲るという強い意志を持ってやりたいです。(フリーの)『火の鳥』を新たな気持ちで演じるべき。明日は新しい町田樹をつくって舞台に立ちたいと思います」と話した。

 そのフリーは、先に演技を終えた羽生がダントツの暫定1位に立ち、織田信成と高橋が続く状況。そんななかで町田は、冷静な滑りをした。

 最初の4回転トーループが少しつんのめる着氷になると、無理をせずに2本目の4回転では2回転をつけて連続ジャンプにした。以降はスピードに乗った力強い滑りを続け、ステップシークエンスのあと、柔らかな曲調をしなやかな身体の動きで前半とはメリハリをつける。終盤のコレオシークエンスでつまずくシーンがあったものの、大きなミスなく終えて安堵の表情を見せた。

「本番前は体調がすごく崩れて最悪のコンディションだった。でも、ここで後悔するようなら僕の人生のすべてに関わると思い、自分だけには勝つという気持ちで割りきりました」

 結果は、非公認ながら自己ベストを大きく超える合計277.04点での2位。悲願の五輪代表の座を手にし、町田はこう語った。

「僕にとって競技人生最大の全日本でした。前年の全日本からもう一度、基礎の基礎から1年間で歩み直すような作業もしました。それまでの20年間の競技人生を凝縮したようなシーズンだったと思います」

後編につづく

<プロフィール>
町田樹 まちだ・たつき/1990年、神奈川県生まれ、広島県育ち。2006年全日本ジュニア選手権で優勝し、シニア移行後は2012年GPシリーズ・中国大会で優勝。GPシリーズ・スケートアメリカでは2013年、2014年と連覇を果たす。2013年全日本選手権で2位となり、2014年ソチ五輪に出場(5位入賞)。2014年世界選手権でも2位になるなど数々の大会で好成績を収める。2014年に競技活動を引退。2015年に関西大学を卒業し、同年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程へ進学。2020年3月に博士後期課程修了、博士(スポーツ科学)を取得。2024年から、國學院大学人間開発学部健康体育学科准教授に。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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