【プロレス連載】スタン・ハンセンの引き抜き合戦を振り返る 伝説の「首折り事件」とブロディとのコンビ (2ページ目)
――1981年5月にブッチャーが新日本に引き抜かれ、全日本が"報復"でハンセンを引き抜いたと言われています。
柴田:1982年2月4日、東京体育館でジャイアント馬場さんの保持するPWF世界ヘビー級王座にハンセンが挑戦。当時44歳の馬場にとって、圧倒的なパワーを誇るハンセンは難敵そのもの。ベルトは奪われてしまう、というのが大方の見方でしたね。でも試合は、予想を裏切る激しい戦いで、馬場が底力を発揮した。この年のプロレス大賞で年間最高試合を獲得しましたね。
――全日本が勢いを盛り返したんですね。
柴田:その数日後に、新日本は全日本に"引き抜き合戦"の停戦を申し入れています。馬場さんは、その戦いにも勝利したんですね。
【先輩・後輩の仲だったブロディとハンセン】
――ハンセンの印象はどうでしたか?
柴田:もともと教師だったから、リング外ではナイスガイ。でもリング上では、まさにブレーキの壊れたダンプカーでしたね。
――近眼で、相手レスラーの顔をハッキリ認識していなかったとも聞きます。
柴田:入場の際、ハンセンが振るブルロープが当たって観客が激怒したことがあって。試合後、その観客にハンセンが謝りに行ったら、その人柄に魅了されて怒りが収まった、という逸話もあるくらいリング外では温和で優しかった。
ただ、今では厳禁でしょうけど、女性ファンにはボディタッチすることもあったね。いたずらっぽくポンと軽くタッチする感じ。女性ファンも、怒るというより「しょうがないなぁ」という感じで笑っていました。それがハンセンの人徳なのかな。
――少年時代は、ブロディとの「超獣コンビ」が怖かったです。ブロディも鎖を振り回しながら入場するので、恐怖で近づけなかった。ただ、そんな2人が宿泊先のホテルのロビーで談笑している姿を見る機会があって、印象が変わりました。
柴田:そうそう、あの2人は本当に仲よしなんです。大学の先輩・後輩の仲ですし。年齢はブロディが3歳上で、デビューはハンセンのほうが約1年早い1973年1月でした。
ハンセンはプロフットボールチームに入団したけど、解雇されて中学校で教鞭をとった。あまり給料が良くなかったんですが、そのあと大学のフットボール部の先輩だったテリー・ファンクから声がかかってプロレスの門を叩きましたね。
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