武藤敬司が突然トイレで「イ~ヤァオ!」と絶叫 それを目撃したケンコバは「いかなる時でもプロレスラーなんやな」 (3ページ目)
――白のロングタイツをはいていた"白・蝶野"時代は、確かに人気が爆発した感じはなかったですね。
「蝶野さんが本当の意味でトップに立ったのは、第4回で3度目の優勝を飾り、直後にコスチュームを黒に変え、入場曲が『CRASH』になってから。ヒールユニットの『狼群団』を率いて、俺が好きな越中詩郎さんがいた反選手会同盟・平成維震軍との抗争で一気に飛躍した印象です。だから蝶野さんは平成維震軍に感謝しているはずだと思って広島でのトークショーで軍団の印象を聞いてみたんですよ。
蝶野さん曰く、当時の新日本は2リーグ制を模索していて、本隊と別動隊という形で興行を打って盛り上げていこうと思っていたのに、その試金石だった平成維震軍をやったのに客が入らなかった。それで会社から、『蝶野、悪いけどお前が行って火をつけてくれ』と言われて出張したらしいんです。
新日本の興行にも出ていたから、気づいたらまったく休んでいなかったみたいで。『だから大嫌いだよ』って言ってました(笑)。トークショーの会場もシーンとなっていましたね」
――不満を抱いていたのもわかりますね。
「蝶野さんの不満を聞いた武藤さんは、『俺は絡んでねぇからな。だって、言っちゃ悪いけどAとBだったらあいつらはBでしょ。俺はデビューしてからAでしか絡まない男だから』と、いかにも武藤さんらしいコメントをしていましたね。しかも、メンバーの名前も同期のAKIRAさんしか覚えてなくて......俺が愛した平成維震軍が、さんざんな言われようでした(笑)」
――G1を発端にさまざまなお話をうかがいましたが、今も真夏の最強決定戦として大会が続いていることを思うとすごいですね。
「一大ブランドを作り上げましたよね。今もG1っていうだけで、メンバー、カードが発表される前からチケットも売れますし。最近は出場メンバーも多くなって、日程も1カ月近く開催する巨大な大会になった。ただ......思うこともあります。
これは常々、内藤哲也選手が言っていることでもあるんですけど、一度、巨大化にストップをかけて原点に戻ってもいいんじゃないかと。参加メンバーを第1回と同じ8人ぐらいでやったらどうかと思うんですよ。日程も短期間で、一気に予選から優勝決定戦まで持っていく。
『じゃあ、その8人はどう選ぶの?』と問われたら難しいんですけど、G1の発案者である坂口征二さんが当初、思い描いていた"プロレス版重賞レース"はそういうことだったのかなとも思うんですよね」
【プロフィール】
ケンドーコバヤシ
お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。
【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー
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