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ぱんちゃん璃奈がどん底だった7年間。「これを逃したら幸せになれない」とキックボクシングにしがみついた (2ページ目)

  • 篠崎貴浩●取材・文 text by Shinozaki Takahiro
  • 撮影●田中亘 photo by Tanaka Wataru

――ぱんちゃん選手は学生時代、スポーツ少女だったようですね。

「(中学の途中までやっていた)水泳は楽しかったけど、成績はよくなくて。それが陸上をやりだしたら才能が認められて、自分に自信が持てるのはこれしかないと思いました。友達はいなくても、『陸上があれば他に何もできなくてもいいや』と。

 でも、それがよくなかったんです。オーバートレーニングで、高校1年の時に疲労骨折しました。それまでは同級生が自分の前を走っているのを見たことがなくて、『大阪で一番を取れる』と信じていたんですが、ケガをした後は前を走られるようになって。悲しくなって諦めちゃいました。気持ちが弱かったというか、若かったですね」

――スポーツ以外、勉強などはどうでしたか?

「勉強はついていけませんでした。授業中は自分だけ取り残された孤独感がありましたね。宿題をする意味も、なぜ赤点を取ったら補習に出ないといけないのかもわからなかった。だからやらなかったんですが、それで怒られる理由も理解できなかったです」

――そうして高校を2年で中退して、その後はバイト生活に?

「バイトも、ひとつのところで長く続かなかったですね。続けたい気持ちはあるけど、クビになることもあったし、周りに迷惑がかかっていると思って自分からやめたりもしました。自分がみんなの足を引っ張っているのが悲しくて」

 取材当日、ピンク色の自転車でジムにやってきたぱんちゃん。STRUGGLEジムの鈴木秀明代表の「すみません、あいつはいつもギリギリなんですよ(笑)」という言葉に関係性のよさが伺える。「汗、(服に)染みてないですか?」と屈託のない笑顔を見せた彼女からは想像できないが、10代後半から20代前半までは失意の底にいたという。

――陸上、高校をやめてしばらくは、笑顔がなかった?

「笑顔はまったくなかったと思います。『どうすれば失敗しないように生きられるか』としか考えていませんでした。周囲に馴染みたいとは思っていましたけど、それができなくて。仕事もできなくて、ずっと『将来、どうしたらいいんだろう』と不安でした」

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