元レーサー・中嶋大祐が語るパイロットとしてのセカンドキャリア「今のほうが自然体で生きていられる」
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中嶋大祐 インタビュー 後編(全3回)
父は国内レースで圧倒的な強さを発揮し、日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった中嶋悟さん。兄も元F1ドライバーで、世界耐久選手権(WEC)で日本人初のチャンピオンとなり、ル・マン24時間レースで3連覇を達成した一貴さん。
そして中嶋家の次男、大祐さんも国内最高峰のスーパーフォーミュラやスーパーGTで活躍していたが、2019年11月末、30歳を目前にして突然、レーシングドライバー引退を表明。サーキットから姿を消していた。
あれから6年、大祐さんはいま、制服に身を包み、航空会社のパイロットとして世界中の空を駆けめぐっていた。ドライバー引退後、どんな経緯でパイロットを目指し、現在はどのような生活を送っているのか。所属するPeach(ピーチ)の拠点がある関西空港で話を聞いた。
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【速度はレーシングカーの3倍!? 飛行機操縦の裏側】
ーー飛行機の操縦で一番大変だと感じるところは?
中嶋大祐(以下同) 当たり前ですが飛行機は移動速度がすごく速いことです。最近ようやくそのスピードには慣れてきましたが、強い追い風に乗ったら時速1000キロに達することもあります。そのなかでさまざまなことを判断しながら操縦するのは本当に大変です。
たとえば夏だったら積乱雲が発生します。当然、事故があってはいけないので避けなければなりません。目視で雲の様子を確認したり、飛行機に搭載される気象レーダーを見たりしながらどちらへ避けるのか決めますが、もう想像以上の勢いで積乱雲が迫ってきます。レーシングカーの最高速度の約3倍も速く、150キロくらい先を見ながら考えるのですが......。
ーー150キロ! そんなに遠くを見ているのですか?
そう思いますよね。でも本当にスピードが乗っている時は10分も待っていたら、もう積乱雲のなかに突っ込んでしまいます。150キロくらい先を見て考え、70キロくらい手前には動きはじめないといけないんです。オートパイロット(自動操縦)機能が入っているとはいえ、スピードがあまりに速いので最初は操縦のリズムがなかなかつかめませんでした。
そうやってパイロットは安全に飛行することを考えつつ、客室で何かトラブルが起きたとか、起きそうだとか、ケガ人や病人とか、そういうことにも対応しなければなりません。揺れそうになったらベルトサインをどうしようかとか。でも今、客室乗務員(CA)がちょうど食事の注文を受けてオーブンで食事を温めているから......などと、いろいろ考えて対応していく必要があります。
自分が乗客として飛行機に乗っている時は何事もなく進んでいるように感じていたことが、いざ自分がコクピットに座って仕事をしてみると、じつは裏側ではこんなにも慌ただしかったのかと初めて知りました(笑)。まだ天候がよくて順調に物事が進んでいる時はいいのですが、天気が悪くなったりしたら、つい視野が狭くなってしまうこともあります。まだまだ未熟さがあり、日々勉強中です。
ーー中嶋さんはふだん、どこか決まった路線を担当しているのですか?
毎月のシフト次第で、Peachが運航している国内外の全路線を担当します。そこがPeachのいいところかなと思います。今だとバンコクやシンガポール行きの中距離路線の国際線から、国内線では関西空港から福岡までの短い便まで、本当にいろいろですね。
パイロットにとって、日本は世界有数の難しいエリアなんです。四季があるのはすばらしいことですが、1年を通して暖かい空気と冷たい空気が出たり入ったりすることになります。その境目はすごく揺れたり、天気が悪くなったりしますので、注意が必要です。あと空港の位置によって特有の気候や状況があります。
たとえば福岡空港はものすごく混んでいるので、待機することになったら余計に燃料も使ってしまいますし、時間も遅れてしまう。そういうところは配慮が必要ですし、冬の北海道は当然、雪が大変です。さらに国際線も運航しているので国が変わるとルールも当然変わるので、いつも資料とにらめっこしながら勉強しています。
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著者プロフィール
川原田剛 (かわらだ・つよし)
1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。











