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【育将・今西和男】片野坂知宏「引退後のための教育もしっかりされていた」 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

「指導者を具体的に意識したのは2000年に大分に入団したときですね。この時に溝畑(宏)GM、立石(敬之)強化部長と話をさせてもらって、将来はフロントに入って活躍してほしいと言われて、ゆくゆくはそういう立場になろうと決めたわけです」

 実際に約束通り、引退後はまず大分でスカウトとして活躍。古巣広島の地元、広島皆実高校から森重真人を獲得するのに成功している。

 2006年にS級ライセンスを取得すると、指導者としての力量を高く評価され、J1の強豪クラブから引きも切らないオファーを受け続ける。

 翌年から3年間、ガンバ大阪のコーチ兼サテライト監督。2010年からは4年間、広島のヘッドコーチ。2014年からは再び2年間、ガンバのヘッドコーチに就任。この間、3位、優勝、3位・天皇杯優勝(ガンバ)、7位、7位、優勝、優勝(サンフレッチェ)、優勝・天皇杯優勝、年間順位2位・天皇杯優勝(ガンバ)とまさに勝者のメンタリティーを全身にまとったと言えよう。

 継続してJ1のガンバでコーチを務めるという道を断って、J3大分で監督になることを決断したのは、小林伸二(現・清水エスパルス監督)に対する恩義も大きかったという。

「僕は2002年に現役の契約は切れるんですが、そのときに小林さんに大分に呼んでいただいて、何とかまた1年間プレーが出来ました。その後も強化に携わって、チームの中のこともわかるようになったし、S級(ライセンス)も取らせていただいた。その恩を返さないといけないと思ったわけです。サンフレッチェではペトロビッチさんに魅力的なサッカーの作り方を、ガンバでは長谷川健太さんに選手とのコミュニケーションの取り方を学びました。それらを大分で実践していきたいですね」

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