2016.03.20

【育将・今西和男】片野坂知宏「引退後のための教育もしっかりされていた」

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko

『育将・今西和男』 連載第23回
門徒たちが語る師の教え 大分トリニータ監督 片野坂知宏(2)

前回の記事はこちら>>

J3開幕戦に勝利し、選手と喜びを分かち合う大分トリニータ片野坂知宏監督(左) (C)OITA F.C.

 1994年のサンフレッチェ広島の強さを一言で言えば、バランスの良さであった。ポジションにも年齢にも偏りがなく、選手のタイプも速いイワン・ハシェック、強い高木琢也、一発のあるハベル・チェルニー、ゴリゴリとドリブルで仕掛ける盧廷潤(ノ・ジュンユン)と個性豊かなタレントが多彩な攻撃を司(つかさど)っていた。

 一方、ディフェンスにおいてはバクスターの戦術が浸透し、23歳の片野坂知宏は左サイドバックの位置で、その組織的守備の心地よさを享受していた。

 ボランチの風間八宏、森保一が相手にプレスをかければ、片野坂は躊躇なく挟み込みに行った。それに伴って最終ラインから佐藤康之、柳本啓成(ひろしげ)というスピードのある選手が、必ずサイドのカバーに来てくれるのだ。フォローがある安心感から、機を見ての得意なオーバーラップも後ろを気にせずガンガン上がっていけた。自然とパスコースは増え、ときに前線の高くて速い選手に自らの武器である早めのクロスを入れて得点を狙うだけでなく、ときに左サイドハーフのチェルニーにワンタッチで出して、局面をガラリと変えることもあった。

 片野坂は1994年のファーストステージの優勝に大きく貢献するのであるが、象徴的なプレーは、この試合に勝てば優勝に王手がかかるという、6月8日に行なわれた第20節のジェフ市原(当時)戦で見られた。