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「バカヤロー!」のひと言で本気モードに 唐川侑己の"怒り"の快速球を受け止めた日

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

流しのブルペンキャッチャー回顧録
第8回 唐川侑己(ロッテ)

 今年2月後半のある日、ロッテの二軍キャンプにお邪魔した。ロッテは今年から、一軍が2月の前半を都城(宮崎)、後半を糸満(沖縄)に移動してキャンプを行ない、二軍は前半を石垣島(沖縄)、そして後半は一軍と入れ替わるように都城で練習を積んでいた。

 朝9時過ぎ、まもなくウォーミングアップが始まる時間。ちょっと風は冷たいが、突き抜けたような快晴のグラウンドの隅っこにボンヤリ立っていたら、斜め後ろから「あれっ!」という声。「ええっ?」と振り返ったら、そこに立っていたのが唐川侑己だったから、ひっくり返るほど驚いた。てっきり、一軍の沖縄キャンプに行っているとばかり思っていた。

「もうそんなに若くないんで、こっちでゆっくりやらせてもらっています」

 にこやかな表情からは想像もできない雄大な体躯。入団してから20キロ近く大きくなったそうだ。高校時代から骨格は大きかった。骨格が大きいと、前から見た時の体の面積が大きい。そこに、鍛えられた筋肉が乗るのだから、雄大な見た目になる。

「安倍さんに受けてもらってから、もう20年ですよ。長かったような、あっという間だったような......なんか不思議ですね」

 プロの世界で20年近くも生き抜いてきたにしては、"ふつうの人"のような語り口だが、これほど長く一線級で投げることは並大抵のことではない。

成田高時代、選抜大会に2度出場した唐川侑己 photo by Sankei Visual成田高時代、選抜大会に2度出場した唐川侑己 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【ブルペンでは本気を出さない】

 そんな唐川の全力投球を受けたのは、彼が成田高(千葉)3年の春だったと思う。2度目の選抜出場を果たし、高校ナンバーワン右腕と評されていた頃だ。

 大阪桐蔭の中田翔(元日本ハムほか)、仙台育英(宮城)の佐藤由規(元ヤクルトほか)とともに「高校BIG3」を形成。さらに、東海大相模(神奈川)の菅野智之(現ロッキーズ)とは互いを「ライバル」と認め合い、チームとしても、ひとりの投手としても、「絶対に負けられない相手」として強く意識し合っていた。

 当時、菅野の唐川評はこうだ。

「ブルペンだと、たいしたボールは投げないんですよ。本番のマウンドじゃないと、本気出さないんで、あいつ」

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著者プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。

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