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【プロ野球】神宮のマウンドで聞いた体の切れる音 ヤクルトを支えた「火消し役」近藤弘樹が振り返る地獄の日々 (5ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 12月、1月のオフシーズンは、戸田で今野龍太や尾仲祐哉らと毎日のように走り込みやキャッチボールで大粒の汗を流した。

 今野は近藤と過ごした時間について、「ドラフト同期ではないですけど、同じ楽天からプロ野球人生をスタートさせて......」と言って続けた。

「同い年ということあり仲良くなって、ヤクルトでも一緒になった。近藤はしんどい時も表に出さないタイプの人間で、弱音を聞いた記憶がないですね。復帰後、徐々にスピードが上がってきて、復活も近づいてきたかなと思っていたのですが......」

 近藤は2月のキャンプを無事完走し、「今年はいけるかも」と幸先のいいスタートだった。

「春先は肩の調子がよく、4、5月あたりから状態を上げていき、夏までに支配下登録を目指そうという感じでした」

 地獄のような日々から逃げ出さなかった理由について、近藤はこう話した。

「球団が待ってくれている以上、やめるわけにはいかない。家族も養わないといけないですし。この2つが原動力だったと思います。野球が好きとか、また投げたいとかは二の次でした」

 2024年3月9日、近藤は春季教育リーグのロッテ戦にシーズン初登板。1回を2安打、1失点で終えた。

「試合後はなんともなかったんですけど、翌日か翌々日ですね。キャッチボールをしていて、40球か50球くらい投げた時に『あれ、力が弱いかな』と感じたんです」

 さらなる試練が、近藤を襲うことになる。

つづく>>

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著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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