【プロ野球】神宮のマウンドで聞いた体の切れる音 ヤクルトを支えた「火消し役」近藤弘樹が振り返る地獄の日々 (4ページ目)
結局、自分の野球人生なので悔いは残したくないと、いくつかの病院を訪ねさせてもらいました。自分で納得して手術を受ける、それでダメなら仕方ないと思えるところで受けさせてくださいと、球団には無理なお願いをしました」
2022年2月25日に手術。この年、戸田球場はコロナ禍により制限されていた取材規制が解除。近藤は誰よりも早く自転車で球場入りして、リハビリメニューを黙々とこなしていた。5月28日には「自分の肩じゃないみたい」と語っていたが、理学療法士の伊東優多トレーナーとキャッチボールをするところまで回復した。
【地獄の日々から逃げなかった理由】
2023年6月7日、ライブBP(実戦形式の打撃練習)で、若手相手に27球を投じた。同24日、独立リーグのBC福島との練習試合に登板。27日には「古巣が相手でしたので、復帰戦のシナリオとしてはよかった」と楽天戦に登板し、最速こそ145キロだったが、3人の打者を9球で片づけた。
「この時は正直、手応えはなかったですね。投げはしましたが、思い描く球では全然なかったので。元気だった頃を思い起こすと、スピードも変化球もすべて微妙でした。ただ、ここから上がるかなという期待はしていました」
このシーズン、最終的にファームで16試合に登板(16イニング)し防御率1.13。与えた四球はわずかに1つだった。
「投げ始めた頃は『肩、大丈夫かな』と、肩と戦う割合が8から9だったものが、4から5くらいに減りました。ただ、夏場になると、肩と戦う割合がちょっと高くなった感じでした。支配下登録期限の7月31日あたりは、出力も球速も落ちて、肩の痛みもけっこうありました」
10月のフェニックスリーグ(宮崎)では、予定していた3試合、トータル3イニングを三者凡退に抑えた。
「肩が温まるのに時間はかかりましたけど、痛みはなかったですね。痛み止めは手放せなかったですけど、これはおまじないのようなものでした(笑)。イメージはよくて、3、4カ月で球速を2、3キロアップしていって、2024年の二軍戦で150キロまで持っていきたという感じでした」
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