検索

【プロ野球】神宮のマウンドで聞いた体の切れる音 ヤクルトを支えた「火消し役」近藤弘樹が振り返る地獄の日々 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 楽天に在籍した3年間は17試合で0勝4敗と、期待に応えられなかった。

「いろいろ見失ってしまったというか、自分のなかに柱がなかったですね。悪いまま、ずっとどうしようと。いろいろ試行錯誤しましたが、その場しのぎにしかならなくて、結果が出なかったという感じです」

 楽天を戦力外となり、ヤクルトに育成選手として入団。そこで近藤は、「正直、投げたくなかった球種」というシュートを習得することで、活路を開いた。

「それまでにも投げてはいたんです。楽天2年目の秋季キャンプで、伊藤智仁コーチ(現・ヤクルトコーチ)から『シュートを投げてみたら?』と助言をいただいて。で、一軍に上がってソフトバンク戦で152キロのシュートを投げると、面白いように打ち取れたんです。ただ、コントロールはつかないし、曲がっているかどうかわからなかったので、なんかしっくりこないというか......」

 楽天での最終登板となった試合では、シュートのサインに首を横に振り続けた。

「いわゆる真っすぐとか、あまり使えない球種を投げて、ホームランを2本打たれました。そこで抹消されて、それから一度も一軍に上がることなく戦力外だったので、あまり好きな球種ではなかったんですけど、ちょっと悔いが残るところもあったんです」

【シュートを解禁し飛躍】

 ヤクルトに入団すると、春のキャンプは一軍スタート。そこには同じく楽天を退団し、一軍投手コーチに就任した伊藤コーチの姿があった。

「この時、トモさん(伊藤コーチ)から『ここで変わらなかったら、もう来年はないぞ』と言われました。一度クビになった身なので、何も怖くないですし、変わる決心がついたというか、もうシュートを投げることに抵抗はなかったです。どれだけできるかわからないけど、シュートを軸にしていこうと。伊藤コーチに出会えたことで、自分の生きる道をもらったかなという感じですね」

 開幕一軍をつかみ取ると、150キロのシュートを武器に大車輪の活躍。髙津臣吾監督(当時)をして「近藤の22試合がなかったら、2021年の優勝はなかったでしょうね」と言わしめるほど、"火消し役"として見事な活躍ぶりだった。

2 / 5

キーワード

このページのトップに戻る